反戦、医療ささげた生涯 : 山梨 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)


戦没学徒の遺稿集「きけ わだつみのこえ」を編集した甲州市塩山上於曽の中村克郎さん(86)が亡くなった。訃報から一夜明けた23日、地域医療にも貢献した中村さんをしのび、親戚らが弔問のため自宅を訪れていた。

 中村さんの兄、徳郎さんは1944年にフィリピン付近で戦死した。東大に入学したばかりの42年、学徒出陣に駆り出された末のことだった。

 徳郎さんは出征前、最後の面会で中村さんに対し、悲痛な思いをつづった手記を手渡していた。この手記が「きけ わだつみのこえ」の原点。中村さんは、兄と同じように戦場で命を落とした若者たちを思って編集に取り組み、49年の出版にこぎ着けた。

 中村医院を開いた中村さんは、産婦人科と肛門科の専門医として地域に親しまれていたが、同医院は03年に閉院。交通事故で右足を骨折したことが原因で、2000年頃から寝たきり生活を送り、08年頃からは脳血栓を患っていた。

 長女はるねさん(57)は08年、自宅近くにあった元中村医院の建物を利用し、私設文庫「わだつみ平和文庫」を開設。中村さんが集めた戦争などに関する資料や書籍など約3万3000点を公開した。はるねさんによると、わだつみ平和文庫の内部を撮影した映像を見せたところ、中村さんは「ありがとう」とつぶやいたという。「それが父の最後の言葉でした」とはるねさん。

 はるねさんは中村さんの死に顔を見て「反戦運動と地域医療に一生をささげ、全てをやりきった美しい顔をしている。父の思いを受け継いで世界平和を訴えたい」と話した。
(2012年1月24日 読売新聞)