世の中では終戦記念日という。
それであれば、勝戦記念側と敗戦記念側がある。

勝ち負けをつけるために戦いがあるのだから。

それを終戦などという言葉でくくるのはおかしい。誰かもそんな事を書いていた。

負けるとわかっていた戦争という軍隊同士のゲームに市民が多数巻き込まれ。
とどめはヒロシマ、ナガサキであった。
本来の戦争というゲームは市民を巻き込んではいけないのだ。
まあ、国際法などという大人のお約束は大方いつも反故にされるのだが。

敗戦後の奇跡の経済発展と自画自賛する一部の日本人の皆さんがいる。
そのいけいけどんどんな経済はアメリカにも日本にもそしてヨーロッパにももう来ない。

欲望という資本主義がひたすら貨幣を要求しつづける。

科学技術という文脈は素晴らしいモノを作り出す魔法の杖だと多くの人たちが考えているようだ。

でも、科学も技術も万能などではありえない。
産業廃棄物も核廃棄物もすべて現状では無毒化など出来ないで未来へ先送りしている。

夢を追うという欲望を否定はしない。

しかし、現世で解決できないものを未来に先送りして解決できるだろうという考えは捨てるべきだと思う。

フクシマはそのサイたるものだろう。

原発の敗戦記念日でも作るべきだろう。

そしてリニア新幹線などという戯れな欲望の敗戦記念日も必ず来るのだと思う。