原発社会からの離脱 宮台真司 飯田哲也 講談社現代新書 20116月20日

3.11の福島第一原発の事故が世界に与えた影響を日本人はどう捉えるべきなのか。
そして、電力消費という欲望を今後どのように飼いならしていくのか。
そんな個人的な疑問を持ちつつ本書を読んでみた。
飯田さんも宮台さんも1959年生まれである。私と同じ歳(今年52歳)である。宮台さんの本は読んだ事があったが、飯田さんの本は初めてである。今回はお二人の対談を編集者がまとめたようであるが、基本的には宮台さんが聞き手に回り、飯田さんの原子力に関する魑魅魍魎の世界(ご自身の専門とその後の企業での活動、行政とのやり取り、海外留学、NPO活動)を読み解く内容に耳を傾けている構図だろうか。

宮台さんの今回のキーワードは「悪い共同体」の「悪い心の習慣」である。これまで反原発や脱原発と声を上げる人間はアカデミックやメディアから完全に無視され、クレーマーの烙印を押されていたのではないだろうか。それが3.11以降、まったく逆の立場になったのである。確かに中にはおかしな言説でメディアに登場する専門家と称する脱原発派もいるが、飯田さんは、間違いなくアカデミックの広範な知識を有しつつ、世界の原子力行政にも精通し現状の原発政策の誤りを指摘できる一人であろう。個人的には九大副学長の吉岡先生や京大の小出さんなども脱原発を主張する論理的な科学者だと思う。

さていつものように備忘録的メモ

高度成長期に大学生になっていた団塊の世代は高度成長や巨大開発という時代の価値観が完全に頭の中にビルトインされているので、70年代に世界を覆った「よき環境主義」(たとえば、沈黙の春)の洗礼をほとんど受けないまま、コンクリート主義に走ってしまった。その結果、バブルを招いた。(高木仁三郎さんの様な人も当時いたが)

原子力安全委員会に提出する答申(飯田さんが下書き)を霞ヶ関文学(霞ヶ関の文章)に官僚が翻訳してフィクションと現実を繋いでいく言葉のアクロバット。

原子力を巡る二項対立問題(原発推進と反対)はスエーデン、デンマークではすでに80年代に終了

2000年の電力自由化議論と権益を守りたいサイド(巨大投資の原発に付随する関連業界と政治)
2004年 六ヶ所再処理工場問題における経済合理派と原子力ムラの攻防(東電企画部、経産省キャリア、河野太郎等 の敗退、東電の勝俣社長(当時)も止めたかった)

日本総研職員という肩書き、NPO代表の肩書きで違うメディア、政党対応。
レッテル貼りの内容のない議論(肩書き重視で、しょせん助教だろう的な空気)
福島県の佐藤前知事時代の審議会は知事や部局長も参加発言する文化があった。
2002年の福島県エネルギー政策検討委員会の中間報告書(ウエブでも公開)は国民必読との事。

あとがき(飯田氏)
私自身、原理力ムラを出た後の人生を通して徹底的に拘ってきたのは「リアリティ」だ。おそらく、青少年時代に皮膚感覚的な体験をもった社会の最底辺層への眼差しが、自分の心の中には絶えず「碇」としてある。この国の「旧いシステム」は、あまりに日本社会を構成する大多数の善良の人々、とりわけ最底辺層や将来世代への眼差しが欠けているだけでなく、その善良さを愚弄し、見下し、しかもそこに付け込んで「寄生」しているとしか思えない。しかし他方で、それを批判して理想論を美しい論文にまとめても、どろどろした「現実」に手を突っ込まなければ、それはエクスキューズ(言い訳)にしかならない。この無残な日本の実像に立ちすくみながらも、現実を一ミリメートルでも、望ましい方向に日本社会を動かしてゆくことが、「明日」への道を拓く。あまりにも重く、果てしなく長い道のりだが、その一歩を今日もまた刻んでゆこうと思う。

あとがきの最終部分は是非ご自身でお読みいただきたい。飯田氏の魂が感じられるはずである、涙とともに。

また、吉岡斉 原発と日本の未来(岩波ブックレット、平成23年2月8日、震災の前)を併せて読まれると日本の原子力行政の闇が少し晴れてくると思います。

1章――それでも日本人は原発を選んだ
2章――変わらない社会、変わる現実
3章――八〇年代のニッポン「原子力ムラ」探訪
4章――欧州の自然エネルギー事情
5章――二〇〇〇年と二〇〇四年と政権交代後に何が起こったか
6章――自然エネルギーと共同体自治
7章――すでにはじまっている「実践」

原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)
原発社会からの離脱――自然エネルギーと共同体自治に向けて (講談社現代新書)
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