四住期
家人がアエラで島田裕巳の記事を見つけて、これ「あんたの生き方と同じじゃん」とのたまった。
以前たしか養老先生が書かれていて、その出典を忘れていたのである。そして絶対仏教だと思っていたのである。
そしたらヒンズー教のようですね(笑)
まあ、そんな事はどっちでも良いのです。
そろそろ「林棲期」なのである。
すなわち、このリンクでも書かれている通り、
子を育て終え、孫の顔を見る年齢に達したとき、「マヌの法典」は人に対して、家を出て森林に移り住む「林棲期」に移行せよと託宣する。
「家住者、顔に皺より、毛髪灰色となり、その子に子息を見るに至らば、その時、彼は森林に赴くべし」(6−2)
「耕作による全ての食物、及び彼のすべての財産を捨て、その妻を子に託し、或いはこれを伴いて森林に赴くべし」(6−3)
「彼は獣皮、及び樹皮を纏い、朝夕に沐浴すべし。又、常に辮髪し、体毛、髭、及び爪を切ることなく蓄ふべし」(6−6)
かくして、彼は人為のもの、文明的なるものを次第に捨て去り、森の中に徐々に溶け込んでゆくのである。
「規定に基づき三火にて火祭を行ひ、適時に、新月、満月祭を行ふを怠るなかれ」(6−7)
「乾地、或いは水中に生じたる野菜・花・根・果実、浄き樹木に生じたるもの、及び森林に生ずる果実より抽出したる油を食すべし」(6−13)
そして、野垂れ死にするのである。
無縁死を恐れること自体が愚かであろう。
大昔の人が、現在の拝金主義を予想していたようでもある。
老後の心配を貨幣という文脈でしか考えられない人々が若者の将来を破壊している事を認知しなければならないのである。
雨宮処凛の「生きさせろ」を読んだから、尚更そう思うのである。