水上達三(1903-1989)北巨摩郡清哲村字青木出身(現在の韮崎市)、甲府中学(現甲府一高)から東京商科大(現一橋大学)

三井物産社長、会長、相談役を歴任 日本貿易会会長



水上は石橋湛山の勉強会に欠かさず参加していた。石橋湛山は同郷であり、甲府中学の先輩である。その石橋は甲府中学の校長であった大島正健(クラーク博士に直接教えを受けた札幌農学校の一期生である。クラーク博士の在任期間は8ヶ月)の薫陶をうける。



「湛山回想」のなかで石橋湛山は書いている。

「(私の)意識の底に、常に宗教的、教育的志望の潜んでいることは明らかであった。そこに私は、大島校長を通じ、クラーク博士のことを知り、これだと、強く感じたのである。つまり私もクラーク博士になりたいと思ったのである。私は今でも書斎にはクラーク博士の写真を掲げている」





寺島実郎 佐高信 新しい世界観をもとめて(2010 毎日新聞社)より。

寺島はこの水上達三に三井物産の新入社員時に会っている。

そして寺島は書く、石橋湛山の揺るぎなさは凄まじいですよ。何度も繰り返しますが、戦争に向かう狂気の逆風の中で、小日本主義を提唱するなんて、現在からは想像できないような凄いことです。中略 そんなときに「(戦争、侵略を)止めた方がいいと」意見した。

素晴らしい先輩が居たのである。(過去形なのかな?)