新しい世界観を求めて 佐高信 寺島実郎 毎日新聞社 2010
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寺島さん(1947-)の近著「世界を知る力」でも佐高さん(1945-)との対談がある。
ご両人ともにTVメディアはよくお顔を拝見するところであり、寺島さんは保守、佐高さんか革新系の様に思っていたのだけれど、この対談を読んでみると、どちらも愛国者としての思想家の様に思えるのである。寺島さんは商社マンとしての長い経験、佐高さんは経済誌の記者やその後の評論活動を通して多くの財界人や政治家との接点を持つ。そしてそこには「社畜」でない寺島という個として思想をもつ会社員がいた。
そして、お互いがブレない人々に共感を持つ。加藤周一、城山三郎、魯迅と藤野先生、石橋湛山、安倍能成などである。
経済最優先の政策が果たして日本の未来に夢を与えられるのか、それはノーであるとお二人は考えている。日本あるいはアジアとしての思想や哲学の必要性を示唆している。

備忘録的メモ
広島の原爆死没者慰霊碑の文言「過ちは繰り返しぬから」、誰のどういう責任における過ちだったのかという話が一切ない。中略 言葉の持つ重みが失われている。そして不思議なことに、それに対する深い問題意識に根ざした議論がおきない。(世界を知る力に同じテキストがあったと思う):寺島
村上春樹における個からいきなり類に話が飛ぶ違和感(民族等の種を超えていきなり人類を語る):佐高
だまされことは正義を意味しない、だまされること自体が悪であって、だまされたことは、だまされた人間の責任を解除しない。だから、だまされたと言って平気でいられる国民は、今後、おそらく何度でもだまされるのであろう。(伊丹万作のエッセイから、佐高)
石橋湛山の小日本主義、覚悟をもった少数派
クリーンなタカよりダーティなハト:佐高
新自由主義を推し進めた大前研一や竹中平蔵に欠けていたのは哲学と思想です:佐高



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