贈与という文脈は本来は単に与えることだろう。
見返りも何もないプレゼント。

教育も、子供に対する愛情も、本来は贈与であるし、
贈与であらねばらないのではと思う。

オーバーアチイブメントを認めつつ、多様性を受け入れて
共同体を運営する知恵と贈与。
そんなことを考えながら、一人酒を飲んでみた。
お袋が作る、お雑煮がこれまでになく旨いと思うのは
やはり年を自分自身が年を取ったせいであろう。

オーバーアチイブメントは、内田樹さん的には給与以上に仕事をしていてもその給与を要求しないような人をいうのであろうと理解している。

民間であっても、公務員であろうと、結局は割合であり、オーバーアチイブメントの割合が高い組織は伸びるのだろう。
逆に、休まず(最近は休む)、目立たず(最近は目立ちたい)、働かず(これは同じだな)の「3ず」な組織は当然の摂理として自滅していくのだろう。それが「日本という組織」であっても、同じなんだろうね。