平和な国ニッポン。

日本という国家が成立したのは確か7世紀、だから縄文時代の日本という表現は本来はあり得ないらしい。

国という枠組みを維持するために政治という装置は存在すると勝手に思っているのですが、いつになっても政治と金だのの問題が起こるのは、欲望という人間の捨てがたい本性なんでしょうかね。

メディアは媒体が売れなければ食っていけないので、面白おかしく情報という名のお菓子を視聴者にほぼ無料で(スポンサー様の施しですかね)垂れ流し続ける。

そのいろんな種類のお菓子を食べては、これは旨い、これは塩味が足りないなどと言いたい事だけをのたまう視聴者、常に観客を装う国民という名の存在。

どんな日本という枠組みを構築したいのかという議論など行われず、ただ身銭になるような政策しか打ち出せない政治文法がすでに国民という視聴者の体に浸みわたってしまったのでしょうね。

利他的というテクストはやがて消滅してしまうのだろうか。
長生きしたいとは思わないけど、老害な自分にはなりたくはないと
思うのだな。