大分昔に読んだ本の中の一節

遥かなる山釣り

ほろびゆく川

この中に廃村になる村の一節にこんな文章があります。

村に人影はなく、川に魚影なく、ほろびの中に逞しく繁殖しているのは虻だけであった。”毒流し”と聞くと、無性に腹を立てるのはいつものことだが、この日は妙に腹が立たなかった。それほど電気を作るために傷めつけられているすさまじい川の変貌を見て廻った無残な印象が強すぎたからかー。それに較べたら、毒流しぐらいはタカの知れたものではないかー。魚種を移植すれば回復する。土地を追われる人にしれみれば、毒流しはせめてもの腹いせかも知れない。モスコーを焼き払って退去したロシア軍のことを思い出す。だからといって、私はゆめゆめ毒流しの肩を持つものではない。公共の利益と経済発展の名分によって、国家支援のもとに容赦なく強行されている自然の破壊行為が、なぜ毒流し以上の憎しみを買わないのかふしぎでならないのである。毒を流したのは、この土地を最後に去った人だということで、村と共に魚も亡びよ・・・・と、怨念をこめて使い残りの農薬を撒いたのだそうである。(1966年10月)



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