岸田袈裟さん死去 「少年ケニヤの友」副理事長 - 47NEWS(よんななニュース)


俺なんかが語るより、もっと適切な方が居ると思うのだが、記憶をとどめたい。
どれだけ多くのケニアの人々がそして多くのケニアでお世話になった日本人が感謝しているだろうか。

1984年初めての海外旅行(渡航が適切かな)がアフリカ4カ国アジア2カ国という学術調査であった。もう何回も書いているが、最年少参加者の大学院生で、はやく言えば鞄持ちである。アフリカはケニア、ガボン、カメルーン、ガーナであった。1カ月程度で全6カ国を訪問するという非常にタイトな計画、さらには格安チケットである。

旅の詳細は省き、ケニアに関してだけ。
ナイロビに到着後、学術振興会のナイロビオフィースに挨拶に行ったよういに記憶している、そこにはシニア駐在員とジュニア駐在員がいて、アフリカに研究にくる人々のお世話をしてくれるのである。
学術調査のアフリカ担当であった山極さん(当時京大助手、現教授)も以前はここでジュニア駐在員をされていてスワヒリ語はベラベラ。
そこで岸田ご夫妻にお会いしたように記憶している。
その後何回もナイロビを訪れる事になるのだが、毎回、岸田さんのお宅に呼んでいただいたり、飲み過ぎで泊めていただいた事もある。
生意気な俺の話を聞きながら笑顔でいつも対応してくれた。

その後、何度かケニア行きを予定した事がある。
96−98年ベルギーに居る時も、家族で仕事に絡めて訪問しようと思ったが大統領選挙で政情不安で諦めた。
また99−01のガーナに滞在中は、袈裟さんをアドバイザーとして、ガーナのエイズ対策にも係わっていただこうとやりくりしたのだが某援助団体からは拒否された。

その後、やはりケニアでお世話になり、またガーナでもお世話になった八木先生(ケニアICIPE,JICA専門家等)の主催する多摩アフリカセンターの会で袈裟さんと久々にお会いできる事になったのが、結局最後の
ご挨拶となってしまった。

うまくまとまらないのだが、岸田袈裟という人は利他的という言葉が本当によく似合う人だろう。
スワヒリ語をケニア人以上上手に使い、本当に現場の人の幸せを考えて行動されていたと思う。そして多くのアフリカで研究をされた人々のためにご主人と一緒に私財を提供していた。

しのぶ会が予定されているという。
是非、心よりありがとうと言わせていただきたいと思う。

俺の尊敬している数少ない人々の一人がまた逝ってしまった。




以下ニュースより
岸田袈裟さん死去 「少年ケニヤの友」副理事長

 岸田 袈裟さん(きしだ・けさ=NPO法人「少年ケニヤの友」副理事長)2月23日午後8時31分、転移性がんのため盛岡市の病院で死去、66歳。岩手県出身。自宅は東京都日野市日野3020の2。葬儀・告別式は近親者らで済ませた。

 ケニアに30年以上住んで栄養学の調査研究やボランティア活動に取り組んだ。岩手県遠野市に伝わる技術を生かしたかまどで衛生的な水を確保、乳幼児死亡率の低下に貢献した。94年から03年まで国際協力機構(JICA)専門家。07年に遠野市民栄誉賞受賞。