決して寄付行為そのものに反対ではないし、どちらかと言うと、好きな方である。
これまでのNGO/NPO、自然災害の救援等には寄付させていただいてきた。
最大額は5000ドルだった様に記憶している。これはある援助団体(ドナー)がその国で行う福祉関連プログラムは1か所だけというバカげた取り決めのために、これまで順調に行っていた開発プログラムが中止になるとの事で、自分と某日本自動車メーカ現地代表が5000ドルを出し、医務官が2000ドル、その他の有志で3000ドルを集めて15000ドル(これが福祉プログラムとほぼ同額)を現地のNPOに寄付した事だろう。その後のNPOからはしっかりして報告書も頂き、さらに帰国時には身に余るお土産まで頂いてしまった。
そのプログラムはいわゆる村落開発系のものであったが、母子保健、寄生虫対策、HIV対策、さらにインカムジェネレイチング(収入確保?のための作物販売や工作物販売)と言ったかなり総合的なものだったと記憶している。

さて、わが出身高校では所在地で毎年盛大にホテルで同窓会をやる。ちなみに一度も出たことはない。東京で行われる同窓会には何回か出席はしたが。
その盛大にホテルで行う同窓会の幹事の担当年だと言う、パーティー券を売り、広告を取り、さらには母校へ何がしかを寄付するという。そのような活動のためにわざわざ事務所を借りるのが慣わしだと。
参加者に聞けば、ほとんど若い連中はおらず爺さんたちの宴会だと言う、まあ久しぶりに旧交を温めるのは良い。ただ、当たり前の様に毎年繰り返されるこの行事が果たして伝統なのか?
パーティー券の売り上げ(購入者が来ない方が良い訳である)に期待してわざわざホテルでやる意味があるのか?そしてパンフレットに広告を載せるための寄付を集めるのだという。参加者だけが会費を払う会をやればいいのではないか。

何かおかしくない?質実剛健が泣いているぜ。

クラーク博士の弟子であった大島校長が草場の影で嘆いているのでないですか?
石橋湛山が墨で書いた?boys be ambitious が虚しく見えるのである。

若い連中を勇気づける同窓会が出来ないものか?そんな会なら喜んで寄付をだすのだが。
単なるお祭り騒ぎ的自己満足な同窓会など伝統ではないのだと思うのである。

以前体育館でやった折、酒の匂いとタバコの匂いが問題になったと言う。
ならば、禁酒、禁煙でやれば良い。
あるいは外でやれば良いのである。

なんか書いていて虚しくなりますね(笑)