金曜日の夜

日本大使館の方の送別会に参加した。
奥様が俺と同じ年、ご主人が一つ上、色々とお世話になった。奥様は非常に気さくな方であり、ご主人は寡黙な様で時に雄弁。左にご主人、右にUNDPの副代表という恐縮な席順である。いつもながら場違いな質問をしてみる。
この国は現在、かなりの発展を物質的にはしているが、それを個人の幸福という文脈でみると発展と幸福は同じ様に進行しているのか?
お二人とも、発展に伴い何かを失うという。

この国に初めて来てから25年が経つ、確かに道は良くなりモノは溢れている。自分が日本で育ったガキの頃と今のこの国が似ているのかもしれない。何か明るい未来が約束された様な活気がある。原油産出国になると言う期待もあるだろう。そのガキが50歳になろうとしている。日本では政権が代わる事が想定されるとメディアは騒いでいる。でも、田舎で畑仕事や山仕事をしている爺婆にはそんな事は関係ない。お天道様が出れば仕事を始め、日が暮れれば家で夕餉。
この国にも良き文化が沢山ある。まさに権威と権力が両立するような共同体と強力な家族制度ともいえる家族間の繋がり。そこにはゆったりと流れる時間がある。循環する時間が日本の山里の様にあるのだ。
我儘な期待をこの国にしている、どうか、お金だけに一喜一憂する時間の流れに飲み込まれない国であってほしいと。

そんなことを日本でも食べられない程に旨いと感じた中華料理店の鍋を突きながら思ったのである。そう相変わらずノンアルコールの中で。