島薗進・宗教学とその周辺
生だけを考えているから、死を恐れたり、「死なない」と思っている人がいたりするのだろう。またアンチエイジングなどという、歳を取ることが悪であるような風潮もあるように思う。

死を考えてこそ生が輝くのであり、死は普遍である。
誰もが決して避けられない。だから人生なのである。

死を隠蔽する現在、それは人は病院で死ぬものであり、家で死ななくなった。
また肉を食らう人間が、その肉を生みだしている動物たちの死を見ようとしない。

おそらく昔は「死生」を学問などとは捉えなくとも、当たり前に循環する時間の中にあったのだろう。
ところが直線的な時間を良しとする現代では、死を学問としなければならないのだろう。

池田晶子さんが生きていたら、どんなコメントをするのだろうと思ってしまう。

死ぬために生きている人間。