夢を見た。
日本国滅亡。
国家などという枠組みは必ず壊れる運命にあるのだと認識している。だから愛国心はありますか?と問われれば、郷土愛はありますと答える。
他国と比べることが意味ある事とは思わないが、これほど自然豊かで生物が多様な国を残したいとは思う。

さて、見た夢。
霞ヶ関、地方行政組織の文系キャリア(敢えてここではそう記しておこう)が目先の経済理論と自己保身のために財政破綻を導く。彼らの中で一体どれくらいの官僚が外国でサバイバル出来るのだろうか?日本国という枠組みの中でしか生きられない人々。仮にそうであるのならば、日本国が破綻しない道筋を描くのが矜持でありノブレスオブリージュではないのか。
大学や省庁の附置研を独法化した。それはそれで良い面もある。しかしである。そこに所属する技術者あるいは研究者は任期制を強いられ、業績の提出を求められる。では事務方はというと、終身雇用のオヤジと臨時職員の女性でのんびりやっている。大学はというと、学長権限が絶大になり、教授会などは有名無実化し、どこかの共産主義国家を見ている様でもある。一部の大学院生は学費無料でかつ生活費の支給もあるが、博士号を取っても任期制のポジションを何回も彷徨いながら40代に突入などという環境が着々と創生されている。
資源の無い、食料自給が出来ない日本国の生きる道は技術の創出ではなかったのか?
マネーゲームに一喜一憂する民族にいつからなってしまったのだろう。
ノーベル経済学賞を取った学者の会社が破産する事実、金融システムという砂上の楼閣を信じて疑わない文系の皆様。
いみじくも子供が言っておりました、経済学は本来理系じゃね?と。

技術の創出も直ぐに銭にならなければ研究予算を出さなくなりつつあり、基礎研究は興味があっても参加しない学生が増えてくる。

マネーゲームでの時間の蓄積はまったく無い。そして取り返しの付かない負け組みが必然的に存在する。そして常勝などはありえない事を知らん振り。
基礎研究や技術創出は失敗は未来への蓄積であり、多くの大発明といわれるイノベーションは偶然なるセレンディプティでもある。
いくらこんな事を夢の中で文系事務方に訴えても、へらへらと聞いているだけである。
確かに、法律を作り、国体を維持をすることに命を懸ける文系キャリアもいる。されど、あまりにお馬鹿な事務方が多いのは事実である。
銀座で長いこと店をしているママが霞ヶ関について言っていた。
「無欲で働くヒトが偉くなっている」と
まだ望みはあるようだ。

研究者、技術者が反乱を起こす時期が近づいているのだろう。
もちろん農業、漁業、林業などの従事者は技術者なのである。

そんな夢を見たせいか目覚めが悪いのだろう。(笑