秋葉原の事件のメディア報道を見ていて感じる。
魔女狩り的な偏狭さを。
すべての言葉に定義を与え、さらにそこに善悪の指標までも誘導する。
おたく、ゲーム、派遣社員、学歴、格差、ナイフ etc
そして、知らず知らずのうちに固定観念あるいは常識と化す。

比較することの無意味さは、多元的かつ多様な思想、思考から本来導き出されるはずであるが、きょうびの日常社会では完全にそのような態度は片隅に追いやられ、所謂勝ち組?のコメンテーターなどと言う職種の方々が声を大きく狭い自論を展開していく。

そして所謂情報の下流域にいる自分を含む多くの視聴者は、あまり考える事もせずに自分を事件の外に置いて何も変わる事なく忘却の海に漂う。

知る事より考える事だと自戒する。
確かにネット上にはタダで手に入る情報が溢れている、もちろん査読された一流といわれる論文もいまや無料で読める時代になりつつある。
しかし、生きるために食う人たちが書いた書籍に触れる事でしか得られない「知」が確実に存在するのではないだろうか。

今回の事件報道等を見ていて、食うために生きている人たちが妙に多いのではないかと感じた訳である。