2008年05月11日
メディアに踊る中国論と若干興味のある人々
朝から雨で、TVを覗いてみる。
やっぱり中国である。国家主席が来たのだからしょうがない。
好意的に見るもの、悲観的に見るもの、それぞれである。
内田樹も姜尚中も養老孟司も別にコメントしていないのである、TVでは。それこそ佐藤優を出演させて言いたい事を言わせた方が面白いと思うが。
さらに科学者もコメントしない。
要するにTVでコメントを出すのは右か左かあるいはクレーマーなのであろう。今日のテレビでは珍しく?慶大の金子さん(この人の本は読みかけ)が中立的な発言をしていて面白かった(寺島さんはいつも通りある意味大局的)。
自分は中国語が出来るわけではないので本当の中国を知らない。
1週間程度、あまり外国人は入らない地域を訪問したくらいである。
あるいは中国人科学者の優秀さを論文で目の当たりにする程度である。
そしてアフリカやヨーロッパで疲れた時に食べたくなる中華料理屋が沢山あることである。そこから見えてくる中国と、何人かが書かれた中国論や環境分野での中国の動きから自分なりに考えると、今の日本人の方がよほど危ないと思うのである。
果たして日本で中国国旗を振り回していた中国人が本当に漢民族国家を望んでいるのか?以前反日デモに参加した連中は果たして何のための反日なのか?TVやネットに流される情報だけに右往左往する「考える事より知る事」だけの日本人と13億という枠組みを維持しようとする人間の発言との間のとてつもなく大きな溝を感じるのである。
メディアのバカさは「パンダ」などという客寄せ装置を繰り返し流し続ける愚かさだろう。まさか本当にパンダが外交に働いているとでも言うのだろうか。
チベットにはダライラマがいるが、ウイグルや内モンゴル、あるいは他の少数民族には誰かVIPがいるのだろうか?
フリーチベットと騒ぐのなら、フリーチャイナと声を上げる人権派はいないのか?
佐藤優は民族問題の根本解決はエスニッククレンジングだと書いていた。
おそらく欧米ではそうだろう、しかしモンスーン気候地域であるアジアでは自然の中に生かされる「おりあいを付ける高度な自治」が可能だと考えるのはおいらの楽観論でしかないのだろうか。
最近のメディアあるいはネットでの二択式の論調あるいは言論誘導的なナショナリズム高揚志向に危機感を覚えるのである。
「忘れられた日本人」でも内山節さんの哲学でも、答えなど直ぐに出ないのである。議論の末におり合いを見つけ無事な共同体をかけがえの無いものとして安心するのである。白洲次郎がGHQに山をクネクネ登って頂上を目指す絵を描いたように。
やっぱり中国である。国家主席が来たのだからしょうがない。
好意的に見るもの、悲観的に見るもの、それぞれである。
内田樹も姜尚中も養老孟司も別にコメントしていないのである、TVでは。それこそ佐藤優を出演させて言いたい事を言わせた方が面白いと思うが。
さらに科学者もコメントしない。
要するにTVでコメントを出すのは右か左かあるいはクレーマーなのであろう。今日のテレビでは珍しく?慶大の金子さん(この人の本は読みかけ)が中立的な発言をしていて面白かった(寺島さんはいつも通りある意味大局的)。
自分は中国語が出来るわけではないので本当の中国を知らない。
1週間程度、あまり外国人は入らない地域を訪問したくらいである。
あるいは中国人科学者の優秀さを論文で目の当たりにする程度である。
そしてアフリカやヨーロッパで疲れた時に食べたくなる中華料理屋が沢山あることである。そこから見えてくる中国と、何人かが書かれた中国論や環境分野での中国の動きから自分なりに考えると、今の日本人の方がよほど危ないと思うのである。
果たして日本で中国国旗を振り回していた中国人が本当に漢民族国家を望んでいるのか?以前反日デモに参加した連中は果たして何のための反日なのか?TVやネットに流される情報だけに右往左往する「考える事より知る事」だけの日本人と13億という枠組みを維持しようとする人間の発言との間のとてつもなく大きな溝を感じるのである。
メディアのバカさは「パンダ」などという客寄せ装置を繰り返し流し続ける愚かさだろう。まさか本当にパンダが外交に働いているとでも言うのだろうか。
チベットにはダライラマがいるが、ウイグルや内モンゴル、あるいは他の少数民族には誰かVIPがいるのだろうか?
フリーチベットと騒ぐのなら、フリーチャイナと声を上げる人権派はいないのか?
佐藤優は民族問題の根本解決はエスニッククレンジングだと書いていた。
おそらく欧米ではそうだろう、しかしモンスーン気候地域であるアジアでは自然の中に生かされる「おりあいを付ける高度な自治」が可能だと考えるのはおいらの楽観論でしかないのだろうか。
最近のメディアあるいはネットでの二択式の論調あるいは言論誘導的なナショナリズム高揚志向に危機感を覚えるのである。
「忘れられた日本人」でも内山節さんの哲学でも、答えなど直ぐに出ないのである。議論の末におり合いを見つけ無事な共同体をかけがえの無いものとして安心するのである。白洲次郎がGHQに山をクネクネ登って頂上を目指す絵を描いたように。

















