図書館本

非婚・少子化時代に
働くということ
メディアの語り口
グローバル化時代のひずみ
共同体の作法
死と愛をめぐる考察
こんなタイトルでこれまでのブログから編集者が上手に内田視線を組上げている。最近特に思うのは、内田さんの養老化である。もちろん内田さんは養老氏を師匠と仰いでいるし、養老さんも連載を内田氏に任せたりしているので分からんでもないのですが、実にモノの見方が壁の上を歩きながら、でも両サイドの落ちないスタンスなのであります。
言っている事は至極ごもっともなのでありますが、非常に腑に落ちるという読後感があります。
備忘録的に内田語録
おそらくこれは1500年来「中華の属国」として生きてきた日本人のDNAに含まれる種族的マインドなのである。アメリカにもラブリー、中国にもラブリー、韓国にもラブリー、台湾にもラブリー、ロシアにもラブリー。みんなにちょっとずつ愛されるそんな「CanCamな日本」であることが二十一世紀の国際社会を最小のコスト、最低のリスクで生き抜く戦略だということを無意識のうちに日本人は気づき始めているのではないだろうか。いや、ほんとに。
社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就活しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。(報酬はつねに集団によって共有されるということに対して)
人間は「自己利益の追求を後回しに、共同体全体のパフォーマンスを向上させることに快楽を感じる」能力によって、他の生物を圧倒する「強さ」を獲得した生き物だからである。
子供の語彙の貧困は、その子どもの生活圏でゆきかう言葉の貧困をそのまま映し出している。それはこども自身の責任ではない。日本語がやせているということがすべての問題の底流にある。(メディアすらむずかしい漢字を使わないという文脈で)
I cannot live without you. これは私たちが発することのできるもっとも純度の高い愛の言葉である。私はこのyouの数をどれだけ増やすことができるか、それが共同的に生きる人間の社会的成熟の指標であると思っている。
「あなたがいなければ生きてゆけない」という言葉は「私」の無能や欠乏についての事実認知的言明ではない。そうではなくて、「だからこそ、あなたにはこれからもずっと元気で生きていて欲しい」という、「あなた」の健康と幸福を願う予祝の言葉なのである。

唯一無いのは泥や土の匂いでしょうか。身体性はご自身が武道家でもあるので随所に感じ取れますが、なぜか話が都市ベースで成り立って居る様に思うのであります。

ひとりでは生きられないのも芸のうち