asahi.com:増田総務相 おわびします-マイタウン山梨
寄りかかり民主主義だとか、お任せ主義、日本的社会主義だとか言われて久しい。中央が悪いのか地方が悪いのかの問題を議論する前に、まず国民一人ひとりが自分の役割を果たしたかを考えたのだろうかと(そういう自分も考えてないので考えたいと思う)。限界集落と呼ばれている地域に住んでいる人が、本当に限界な集落と感じて住民が暗くなり、不愉快に感じているのか?言葉の遊びをしている場合ではないのである。
集落を維持し、依ってきた相互のつながり、もたれ合いを維持してゆくことに限界を感じ出すひとつの数値化された基準に過ぎない。
例えば、集落で葬儀があって棺を出すときに、誰がそれを持って、最も若いものが何歳で、何人がそれに携われるか、そのことに集落として心細さを感じる、集落の維持に限界を感じるということではなかろうか。
葬儀も出棺も業者に任せればカネで解決できる。しかしそれでは集落の面子が立たない。
都会ではその辺のところはすでに「限界集落」そのもので、今は若い世代・壮年が暮らしていても、将来は高齢者ばかりになってしまいそうな買取集合住宅は、壁ひとつドア一枚で、他人の世界で、集落としては機能していない。
NHKのテレビ番組「ツルベ」の月曜8時がよくそれを表している。