図書館本(開成町)

購入したいが絶版?(池田さんの本は殆ど絶版にならないのだけれど)。
誰か不要な方譲ってください。

2007年に亡くなられた池田さんの著作を少しづつ年代を遡りながら読んでいる。
14歳からの哲学が2003年であるから、その4年前に出版された書。内容は季刊「仏教」の1996年から99年にかけての連載と書下ろし、他紙への文章そして96年12月「COMMUNICATION」の木村敏、養老孟司との鼎談である。

池田さんの本を読んでいるとガツンガツンと引っかかる。養老先生の読書術は確かこの読んでいて引っかかる本に興味を持つと書かれていたと思う。もちろん、速読で小説や漫画も読まれるのだけれど。もちろん、池田さんの本の内容を全て理解できているとは全く思わないし、おそらく1−2割理解できたかなと思う程度である。決して難解ではないと思うのだが引っかかりが多く付箋紙だらけにいつもなる。
連載中の98年の記事の中にはご自身が既に癌であることを告知されていることを示されているように思える。父親の癌闘病、ナベツネ氏(前立腺癌を告白されいる)との対談の時の話題等々も出てくる。また当時の事件(少年A,オウム、臓器移植法)を魂という視点から思索している。魂を考える(知るのではなく)ために何回か読み込まないと自分自身の中の魂をも理解出来ないということが理解できた素晴らしい本である。

備忘録メモ
便利によって節約された時間を、人はどのように使っているのだろうか。おそらく、することのない時間の空疎、すなわち自分の中身の空疎に耐えられず、人はさらにビジネスへと走っているのではなかろうか。そして、忙しい忙しいと自分に言い訳しつつ、さらなる便利さを求めているのではなかろうか。すると、人は、いったい何のために何をしていることになるのか、これは見事な本末転倒である。p11
節約できた時間の使い方がわからずに持て余し、中略 それなら、薪割り、水汲み、飯炊きで終わる一日の方が、いかほど健康か。便利さの弊害がある。便利さは人を滅ぼす。p14
「皆は食べるために生きているが、僕は生きるために食べている」ソクラテス p17
「便利」ということについて考えてきたが、対する「不便」というのは、便利さを知らなければ出て来ない言葉である。したがって、不便と言う言葉を知った人はすでに不幸だろう。古来より人は、この状態を警戒して、「足るを知る」、すなわち、あるがままを認めることの幸福を説いたのではなかったか。p19
「私探し」というこの言い方が、私は以前からもうひどく気に入らなくて、なぜ気に入らないかというと、<私>をどこに探そうとするその心性の脆弱さのためでなく、そも<私>とは探すべきものだと思っている、その根本的な勘違いのためである。そんなの、探さなくたって、ここにあるじゃないの。p46

魂を考える