図書館本

養老先生が内田さんの「私家版 ユダヤ文化論」(本書の出版後に小林秀雄賞)を読んで興味を持たれて対談が行なわれたようだ。内田さんのご自身のブログでこの対談では養老先生の発言の多くの部分(おそらくは非常に本質的な部分)は削除されていると書かれていたと思う。しかしながら全体を通じて感じるのは、やはり養老先生のものの見方(「逆さメガネ」に書かれている態度、本書では「対偶」的な見方か?)を内田さんもお持ちであり、お互いの対談を通して物事の本質の極め方を示されているように思った。
「ユダヤ人」とは何かという問いに、「有責性」(ユダヤ人は非ユダヤ人よりも世界の不幸について多くの責任を引き受けなければならない。だからこそ神に選ばれた民だという有責性)が一つの答えの端緒となると言う。そして日本人だからこそ、ユダヤ人論をある種客観的に論じられるのだとも。到底お二人の「知」に付いて行く事すら出来ないが、実はこの「何々人」とは何かという問いが実は「唯脳論」的な問いである事が分かる。
そして話は国内問題やアウシュビッツ問題、蒟蒻問答、小泉政治、日本語論など多岐にわたって展開する。地方分権の文脈で養老先生が北海道独立論をぶち上げたり、「きめないでおこう」という態度の必要性、あるいは「オープンクエスチョン(開かれた問題)」の必然性を話されていて、まさになるほどと思ってしまう。只者ではないお二人の編集無しの対談を聞いてみたいものです。


逆立ち日本論 (新潮選書)