図書館本

今現在の歴史も森が作っている事を立松さんが法隆寺、伊勢神宮、江戸城などを例に出し判りやすく説明している。
立松さんが毎年正月に参加する法隆寺 1月7日から14日 お籠もりの行。金堂修正会(しゆしょうえ)の声明(しょうみょう)があるという。
 声明とはみんなで声をあわせて仏菩薩をたたえ、この場にきていだだき、こちらの祈りをききとどけてもらう。その根底の願いは、地味増長である。土に力を下さいという請願である。次に五穀成就だが、土が米や麦を実らせてくれ、森の木を育ててくれる。こうして食べるものが豊富にあれば、万民富楽となる。人々が幸せになるなら、国は安泰であるから、鎮護国家とつながる。
この行を吉祥悔過(けか)というが、新年に吉祥天に懺悔をして、これまで犯してしまった罪を許してもらい、新しい気持ちでこの一年を送ろうと決意することである。法隆寺では毎年これを行い、千二百三十数年前から行われている。

法隆寺のヒノキの一枚板の扉は1300年前のそのままの材である。その材は樹齢千年とも千二百年とも言われており1300年前に伐採したとすると実に2500年前に生きていた木と言うことになる。

皆伐による自然破壊は既に戦国時代から認識されていて木曽などでは「ヒノキ一本首一つ」と言われるほど盗伐に対する罰が重かった。

江戸城西の丸全焼 (1838年3月10日)この復興のために木曽の木が大量に伐採され(庶民の家2500軒分とも言われている)特に大木が伐採された。
また江戸の開発のために(当時日比谷界隈はまだ入り江だった)大量の木材が必要となり多くの木材が切り出された。

伊勢神宮の20年事の式年遷宮(正宮・別宮の全ての社殿と鳥居を建て替え、御装束・神宝も造り替え神体を遷す)のために1万本のヒノキが必要とされ木曽を御杣山とした。

このように森が無ければ現在の日本は存在しなかった。そんな意味も含めて立松さんは「美林を歩け」と我々に訴える。

目次はこんな感じ
1 森の国‐‐−−日本文化の根本は木造
2 法隆寺が危ない 大修理に備えるヒノキの材がない?
3 裏木曽古事の森−苗を植え、未来に命吹き込む
4 木曽五木−盗伐すれば容赦なく処刑
5 本曽ヒノキ備林--立ち入り禁止から国民の森に
6 合体本の歴史―‐母と子の魂宿るように
7 出の小路の大ヒノキ  斧を入れると神の祟り
8 探し出された二代目”−木全体に漂う気品
9 天然更新の条件  大量伐採で明るい森に
10 家康の眼力−−‐建設の時代を担うのは木材
11 江戸の建設事情−−日本史上になかった大開発
12 請負制の木材市場--資本力のある豪商が支配
13 尾張藩の山守屋敷‐‐ヒノキ保護のトリデ
14 残された山守文書--三万点の克明な記録
15 幕吏川路聖謨(としあきら)‐‐ヒノキ提供に反発の尾張藩へ
16 江戸城西の丸焼失―‐‐‐急がれた再建用材確保
17 聖謨の見分―――−山が荒れ、少なかった良材
18 尾張藩の財政危機‐‐‐−‐割当金以上にヒノキ材代納
19 明治ヘ--版籍奉還ですべて官林にに
20 木材輸送の専門家たち--危険ともなう熟練作業
21 一目千乗の筏流し-−木曽川の冬の風物詩
22 木曽材の隆盛―−−変遷する木材輸送
23 御嶽山信仰−−−覚明か大衆に拓いた道
24 御嶽山登頂記−―−急勾配が続く修行道場
25 伊勢神宮の式年遷宮--木曽谷に集中する用材確保

あとがき--美林を歩こう


日本の歴史を作った森