この記事は答えを与えてくれていると思う。

とかく、自然は万人のものだと考えがちである。そして安易にそこへ入り込む。
僕も最近までそれに近い考えだったが、色んな本や人に接して分かった事は少なくとも森や川の最優先権を持つのは、その地域の方々であろうと言う事である。
それは単に所有権とか入会権だとかと言う書面上の覚書ではなく、ある種精神的な占有権であって良いと思う。だからもしその森や川に入りたいのであれば、その地域のルールやしきたりを知った上で入るべきなのである。漁協の遊魚券を買ったから釣れるだけ釣るといったケチな精神構造な輩は本来釣りや猟などをすべきではない。
情報誌や知人に聞いた川や森だけに出没し森や魚を守ろうとしない輩を釣りや猟と言う分野から退場していただかないと地元で一生懸命に活動する人達の夢を壊すだけなのだから。
街の釣り人さん、自分の守りたい川を持ちましょう、その川を育む森を愛しましょう。そしてその自然が与えてくれる沢山の幸せを後世に伝えましょう。

以下記事

マナスル登頂 ベースキャンプから、野口健さんが手記

 
 ヒマラヤのマナスル登頂と清掃活動のためベースキャンプに到着した登山家の野口健さん(32)は23日、毎日新聞に手記を寄せた。「マナスルをきれいにするのが、50年前に初登頂した日本人の役割」と、深い積雪の中で本格化する清掃活動への思いを記している。
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 ネパール入りすると、政情不安のため、そこはさながら内戦状態だった。エベレストの清掃時は必ず活動開始前にカトマンズで記者会見を開いたが、共産ゲリラがマナスルのベースキャンプ手前まで占拠し、我々の活動が報じられればターゲットになりかねないため、こっそりとカトマンズからヘリコプターでベースキャンプ手前のサマ村まで飛んだ。
 サマ村はチベット文化圏のため、村人の服装も髪形、言葉までもがチベットそのもの。
 サマ村の長老が、50年前に日本隊が初登頂した時の話をしてくれた。「突然、日本人がやってきて私たちの神様に登ると言う。当然、反対した。彼らが帰った後に雪崩がサマ村まで流れてきてお寺が押しつぶされ3人が死んだ。神様が怒ったんだ。マナスルに登るのはいいが、マナスルは私たちの神様だと言うことを忘れないでほしい」
 私はこの長老の言葉に返す言葉がなかった。私自身、世界中の山々に登ったが、その山と地元の人々の結びつきなどまったく考えもしないで好き勝手に登ってきた。
 そして村のお坊さんが「マナスルは外国人が捨てていったゴミで汚されている。私たちの水もこれから濁る。もしあなた方がマナスルをきれいにしてくれるのならば私たちも一緒に活動する」と言葉をかけてきた。
 標高4400メートル付近のベースキャンプ地から、さっそく缶詰や空き瓶などのゴミを発見した。残念ながら日本語で書かれたジュースの缶も含まれていた。これから上部での清掃活動をスタートする。積雪は2メートル程度に上り、難航は予想されるが、神の山、マナスルを少しでも元の美しい姿に戻すのが、50年前に初登頂を果たした日本人としての役割だろう。