おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2010年11月

NHKの日曜美術館

NHKの日曜美術館を見てました。
ミレー特集でした。

落穂ひろいの、絵の後ろのほうの人たちと、落穂を拾っている人の身分が違うんですね。
またしても無知さを実感しました。
ミレーがルオー達とは違い、地面を画面の3分の1以上の多く使っていることも知りました。
ローマ法王に依頼された聖母像の顔が農民だったことも。

自分の思う事を思うままにする芸術家、いいですね。

歴史が判断してくれますから。

禅と日本文化 (岩波新書)

禅と日本文化 (岩波新書)
鈴木 大拙 (著), 北川 桃雄 (翻訳)

図書館で借りて読み始めたんだけど、これは買わねばと久しぶりに思った本。

「弓と禅」が外国人講師が書いて日本語訳された素晴らしい作品であるが、
鈴木大拙が英語で書いて、それを和訳して出されてわけです。

無教養なおいらとしては、養老先生方式で2Bの鉛筆で線を引きながら読み込みたいと思うのであります。松岡正剛さんの様に書き込めると格好良いと思うのですが、死ぬまでその域には達せないだろうと思うのです。





禅と日本文化 (岩波新書)
禅と日本文化 (岩波新書)
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弓と禅 改版
弓と禅 改版
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うつしよの静寂(しじま)に 映画 立教大学公開講座 その2

映画の上映後に鼎談として内山節さん、監督の由井さん、そしてジェフリーアイリッシュさんが話をされた。

この映画の背骨は「講」を通しての共同体という文脈が流れている。
そして、映画の中でも指摘しているのが、「講」が行われる時の掛け軸に後から付けられた感謝状。

それは東条英機が地域からの寄付と物資供出に対する礼状である。
すなわち「講」という共同体がもつ、ある種の脆弱性が全体主義的な体制に加担する危険性でもある。

そして、内山さんが指摘したのは、掛け軸の隣にある、もうひとつの掛け軸「天照皇大神」である。そして、それは明治以降に掛けられたのだ。

その後、内山さんが「講」について、日本で「講」が多く存在するのは、沖縄と山梨であると述べた。
そして、甲府に住む40-50歳位だと4-5個の無尽講に入っているのが普通だと。逆に一つも入って居ない人は、人間性を疑われるとか。
おそらく、高弟のT氏に聞いたのであろう。

甲府市出身の我が身としては、成るほどと思う反面、この講の内面性に関しての内山さんのコメントは無かったのが残念である。

親睦グループとしての旅行積立や情報交換というコンテクストにおいては楽しいであるが、貨幣が絡み、政治(権力)が絡む所に問題あるようです。
内面性に関してはWikiが上手にまとめているので、そちらを見てください。
無尽
地縁血縁選挙

山梨だけでは無いようですが、公務員が選挙運動はするは、教員は選挙活動はするはといった、風土における「講」と言う事を、この映画を見ながら考えてみたわけである。

論功行賞という言葉が選挙に直結して、公共事業(税金を使う事業)やら公務員、教員の人事に反映するということでしょうね。まあ、世界のある意味、常識でしょうけどね。そこには利他という言葉は存在しないようです。

今更ですが、結局は宮本常一が見た「寄り合い」での全員一致の折り合いの風土が、循環する時間の中での「無事」な関係性を維持するのでしょうね。


忘れられた日本人 (岩波文庫)
忘れられた日本人 (岩波文庫)
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そうそう、焚き火なんですよ。

父と息子 たき火の勧め カリスマ家庭教師・松永氏「好奇心を育てよう」 (1/2ページ) - MSN産経ニュース
おいらは、子供が小さい時は良くキャンプに連れていったけど、おいらが楽しみ過ぎて、その後お付き合いしてくれません(笑)

ガキの時にナイフで怪我をしたり、幼稚園のごみ焼き穴に落ちてやけどしたり、家での行水のために薪でお湯を沸かしたりと、基本的な自然との関係性(言い過ぎか?(笑))は保持していたと思う。
だから、中年になって無性に源流や庭で焚き火をするのである(凄いいい訳だな)。

一応、子供達にはガキの頃に名前入りのアーミーナイフはプレゼントしてあるけど、使ってねえだろうな。

結局は「焚き火」なのである。(どういう落ちにもなってないな)
それで良いのだ。

松葉なう

00e4ba2c.jpg旨い。

ほっとするブログ

makilog

豊かな生態系の一員としてヒトが暮らしていくために。

若い人達と技能の人達は着実に前進しているんだとおもいます。

ネットは単にリアルタイムの情報収集や噂話や罵詈雑言の場ではないんだと。関係性が結びあう「場」としてのネットが良いですね。

「中の人」から外からも鳥瞰できる「時々中の人」へかな。

世界のハンセン病との闘い 笹川陽平日本財団会長講演

皆様
感染研のホームページより笹川会長のご講演映像が見られるようになりました。
トップページの更新情報から
http://www.nih.go.jp/niid/index.html
直接には
http://www.nih.go.jp/niid/gakuyukai/open_to_outside/seminar101022/
となります。
より多くの方がハンセン病に関して情報を共有して頂けることを願っております。
本年3月にガーナで会長から頂いた一冊の本からここまで来る事が出来ました。
今後とも感染症研究・対策に邁進したいと思います。
なお一層のご指導ご鞭撻のほどお願いいたします。

こどもの幸福度

イノチェンティ研究所報告書
以前このページにリンクしておいた記事。日本語訳が出たようですね。

あとでゆっくり読んでみたいと思います。

子供の豊かさはけっしてGDPではないのですよね。

そして、調査国に開発途上国(あまり好きな語彙ではない)が加われば、きっとまた違う結果になると思うのです。

貨幣に翻弄された高度成長時代を生きた我々と、それを知らない子供達では、絶対的価値観が違うのでしょう。

悪いのは私じゃない症候群 香山リカ ベスト新書 2009

悪いのは私じゃない症候群 香山リカ ベスト新書 2009
図書館本

この人は世間の現象をたくみに言葉に変換できますね。
なぜ、他罰的になっていくのか?
ちょっと安易な推測としての、小泉・竹中改革という指摘は、今後の歴史が明らかにしてくれるかもしれません。単純に日本だけの問題ではないのでしょうが、ある時期(特定は出来ないにしても)を境に社会が変化してくるという歴史はあるのでしょう。

興味深かったのは、スピリチュアルな世界での「私が悪いのではない」という意味づけ。
前世を語り、前世の自分が何であったのか。その前世に問題があったから、現世の自分が悪いのではないとする立場。なるほど、上手いことを考えるものである。
田母神氏の発言にみる他罰の思想の見解もなるほどと思わせる。
そして香山氏は最後に書く、一時的に「悪いのは私じゃない」と自己防衛に走ったり、誰かを攻撃して小気味よさを味わっても、その人たちは長期的には、自分で自分の首を絞めているにしかすぎないことになるのだ。中略 あまり品のよくないしつけの言葉に「バカと言う人がいちばんバカ」というのがあるが、このシンプルな原則を私たちはもう一度、思い出してみるべきではないだろうか。


《目次》
プロローグ----他罰の時代がやって来た!
第1章 学校が悪い!
 学生のあいだで剽窃が横行
 「学校が悪い、教員が悪い」
 萎縮する教師、保身に走る学校
第2章 医者が悪い!
 「医者が悪い」というモンスターペイシェント
 "くずれる"医師と患者の関係
 増える母娘共闘のプチモンスター
第3章 職場が悪い!
 労災認定されるうつ病が増加
 ギスギスした職場
 会社のトップに直接メールする社員
 新型うつは他罰の巣窟
第4章 家族の中の他罰主義
 「子どもが悪い」と逆ギレする親
 子どもは本来、自責感が強い
 「親が悪い」と言う"子ども"----アダルト・チルドレン
第5章 「前世が悪い」?のスピリチュアル・ブーム
 「原因が"私"じゃないなら、薬は要りません」
 「前世が悪い」
 スピリチュアル的原因論の"功罪"
第6章 科学の世界も「他罰のススメ」
 かつて、自分を責めがちだったうつ病患者
 「食べ物が悪い」
 「脳の傷が悪い」
 「遺伝子が悪い」
第7章 「悪いのは私だ」の歴史
 日本人は「自責な人」?
 「悪いのは日本ではない」
 負けないためには勝つ、もし勝てないならそれを誰かのせいにする
第8章 ネットという他罰メディア
 スマイリーキクチ氏のブログ炎上事件
 ゆがんだ平等主義といびつな正義感
 他人にだけ道徳的な人たち
第9章 他罰は自己責任論の裏返し
 イラク日本人人質事件
 「自己責任」と「自業自得」
 "自己責任"を回避するための"先制攻撃合戦"
 悪いのは私じゃない症候群の元凶は、成果主義と新自由主義的競争
エピローグ----悪いのは私じゃない症候群への処方箋
 「ピンチはチャンス」の自己責任論より「ピンチはピンチ」の分かち合い精神を
 「悪いのは私じゃない」----そう言わない勇気


悪いのは私じゃない症候群 (ベスト新書)
悪いのは私じゃない症候群 (ベスト新書)
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オバマさんは鎌倉に来れるようですね。

鎌倉市/11月13日(土曜日)、14日(日曜日)の交通規制について
13日は首脳のご夫人達の訪問ですから、14日はオバマさんのようです(他に類似の記事もあります)。
松尾市長が踏み込んだ発言しないかな〜。
ノーベル平和賞受賞者ですから。

日中米露(韓)の包括的安全保障とかね。
歴史に名を残す大統領になって欲しいものです。
そしてその歴史が古都、鎌倉から。

大盛りが凄い。 池上駅 くろむぎ堂

くろむぎ堂 - 池上/そば [食べログ]

義母が入院している近くのお蕎麦屋さん。
大盛り蕎麦を何気に頼んだら、本当に大盛りですね?と聞かれる。

メタボのオイラも見くびられたもんだ(笑)

出てきた瞬間、のけぞった。

写真を撮るのを忘れるぐらい。

残念ながら食べログにも大盛りの写真がありませんね。

是非挑戦あれ。

おいら?当然完食です。

野生動物の首をしめるゴミ 宮崎学 理論社 2007

図書館本

タイトル通りの写真は1枚だけです。
ゴマフアザラシの首に針金かロープが首輪のように絡まって外れない。

人間の生活と野生動物たちの生活の接点を宮崎さんは画像に残したいと思ったのであろう。
それは、自然との関係性という中でしか本来は生きられない人間という立ち位置。決して人間が自然界の頂点ではないということを写真で示しているようでもある。

当然、現在(2010年)問題になっている熊の街場への侵入も、単なる奥山での餌の不足というシンプルな問題ではないことを指摘している。
まさに、自然と人間との関係性での問題でもあるわけだ。

自然を人間が管理できるだとか、支配できるという幻想を都会の人間は捨て去ることがもっとも重要な事であろう。
そして、自然は写真で見るものではなく、五感すべてで認識するものであることを本書は示しているように思う。

野生動物の首をしめるゴミ (かわりゆく環境 日本生き物レポート)
野生動物の首をしめるゴミ (かわりゆく環境 日本生き物レポート)
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日本辺境論における立国 アジア論 そして教育

立国の道すじについて (内田樹の研究室)
内田樹さんのブログはおそらく日々1万人以上の方が読まれている(ライブドアリーダーだけでも5千人弱の登録がある)。

教育者としての内田さんの下記の指摘は、激しく同意するのである。

以下引用
過去30年間、日本の教育行政は「教育立国」に失敗した。
申し訳ないけれど、この期間の政府主導の教育施策は「文化的な力」の育成にはほとんど関心を向けなかった。
それよりは、「金が稼げる力」の育成を最優先したからである。
「わずかな手銭で短期的に巨富を回収できる能力」こそが優先的に開発されるべき人間的資源であるというイデオロギーに教育行政は振り回されてきた。
「英語ができる日本人」のプログラムを起案したとき、文科省はそのHPに堂々と「経済競争を勝ち抜くため」と書いた。
英語ができないと金儲けができない。
それが教育行政のトップが英語教育の必要性を基礎づけるために使ったロジックである。
引用ここまで。

内田さんも内山節さんも1950年生まれである(たぶん)。
この年代の人が暴れていただき、その後を我々に世代交代していただければ日本は道を誤らないと思いたい(笑)

今回の尖閣列島問題は良く見れば、漁船(民間、軍艦改造との話はあるが)と軍隊(海保)とのトラブルと見るのが読み間違わないのだろう。
それを、日本は外交問題と捉えて対応し、中国はそれは違うんじゃね?と思っているのではないだろうか。

いろんな補助線を引いて考えてみる事が思考の多様性を導きだすのだと思う(優柔不断ともいわれるが)。

世代間断絶と若者悪玉論

近頃の若い者は・・・ - 山梨県立大学学長のブログ - Yahoo!ブログ


非常に的を得た指摘で説得力があります(経済という文脈で)。
高度成長を知っている世代と、知らない世代。
生きた時代も歴史も違うのに、最近の若者はと論じる。

この辺に、自分も含めて「高度成長の中の人」のバカさがある訳です。そして悪いのは私じゃない症候群感染者。

現状を維持するサステイナブル(持続可能な)な社会が実現するかという命題に果たしてどれだけ真剣に考えているのかを自分自身に問わない時代の世代が高度成長時代の人々でしょう。

努力しても報われないと思っている若い人が、どうしたら努力したい社会になるかを考えない日本に未来は無いように思うのです。

ただ、学長さんが結論づける?「 小泉 ・竹中・木村経済政策」だけを悪玉にするのは間違いだと思いますね。だって、小泉政権を作ったのは他ならない私たちなのですから。

他罰でなくまずは自罰が出来ないといけないと思うのであります。

やっぱり利他的な動きなのでしょう。

鈴木大拙の本を読みだしたら、そんな事を歴史の当たり前の様に書かれておりました。またも自分の無知を痛感するのであります。

うつしよの静寂(しじま)に 映画 立教大学公開講座

うつしよの静寂(しじま)に

2010年11月7日(日) 立教大学での公開講演会で鑑賞。
上映に先がけてプロヂューサーの小倉美恵子さんが解説を行い、上映後に内山節さん、作品の監督である由井英さん、「忘れられた日本人」の英訳をされ、現在鹿児島県南九州市の土喰(つちくれ)集落に住むジェフリー・アイリッシュさんが鼎談をした(小倉さんも参加)。
映画紹介のサイトはこちら。http://www.sasala-pro.com/shijima/shijima.html
小倉さん自身が生まれ育った川崎市、そこは明治の頃50世帯程の集落だった。それが今では7000世帯。先祖代々続いてきた谷戸田でのコメ作りや各種の「講」、獅子舞がある。
世代交代が3代にわたり行われている獅子舞、一人米作りで畔を作る老人。茅葺屋根の家の隣には高層階のマンション。
そんな川崎市に残る地域を記録した映画である。自然との関係性という文脈が僕には感じられた。そして、講というものの時間と寄り合いの意味。廻り地蔵という風習が縁側という場を通じて行われる事。
見ていて個人的に一番印象的だったのは、この「縁側」である。宮本常一が日本の住まいを全国で見てきて、その基本は「土間、居間、客間」であると指摘していた。そして今日本から失われているものが「縁側」だと。茅葺屋根の家には当たり前に縁側がある。そして、その裏のマンションには隔離された個室だけなのであろう。
また、映画の中でも、鼎談の中でも監督の由井さんが指摘していた、掛け軸を通してみた講と国家という文脈は実は日本の歩いてきた風土と社会という歴史の中で非常に重要な、でも何か見えにくい、そして曖昧な存在だと思ったのである。

鼎談の中でジェフリーさんが鹿児島での平成の大合併について、96地域から43地域になったと。一番の問題は、まったく「流域」に関して考慮していないと言うことだと指摘した。
まったくその通りである。おそらく全国同じ様なものでしょう。
上流から河口へ、その流域に文化と歴史は出来ているのだから。
もちろん、隠れ峠や杣道での交流はあったのですが。

追記
ミーハーな(死語か?)おいらはジェフリーさんにサインを頂いてまいりましたよ。DSC00042DSC00046

自立と予祝、贈与 そしてI can not live without you. な思想

自立と予祝について (内田樹の研究室)
内田さん、絶好調な様でなによりです。最後が素敵です(笑)

「いつもの話だけれど、この考え方がいつか常識に登録されるまで、私は同じ話を繰り返すつもりである。」

ジェフィリー・アイリッシュさん

立教大学での講演会でお会いして、ますます好印象!

宮本常一の歩いた日本を、世界に紹介する人でもあります。

この記事が良い紹介文になっていると思います。

The Forgotten Japanese: Encounters With Rural Life and Folklore
The Forgotten Japanese: Encounters With Rural Life and Folklore
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ロングテイルになるのか、消えてゆくのか

10周年記念 殿堂入り著者・アーティスト
和書で西原さんが入っているのが微笑ましい(コミックでなく)。果たして、古典として残って行く作品はどのくらいあるのだろうか。Web.2.0でアマゾンの戦略にロングテイル(少ない出荷でも長期間にわたり売れ続ける事が出来る)というのがあった様に記憶している。

一時的に売れるエンターテイメントやスピリチュアル関連のモノは歴史の中に埋もれていく。そして普遍的、本質的なモノが残り続け、読み継がれていくのだと思いたい。

環境の哲学

75fb24ed.jpg先日あった片品哲学塾で鬼頭先生のラボの方がご紹介してくれた本。
古本が高いです(泣)

鎌倉図書館にも無いようです。
ヤフオクで気長に待ちますかね。

竿をかついで一人旅 鈴木啓三郎 エイ文庫 2004

ラジオのパーソナリティーがテンカラ竿を持って長野を釣り歩いた記録。
スポンサー等がついているようで、終わりの方には宿の宣伝等が載っている。
個人的には文章に重みはそれほど無いし、単なる釣り日記と言ったところだろうか。
テンカラの薀蓄を語るのであれば、素石や素石がテンカラを習った木曽の話もあっても良かったと思う。

竿をかついで一人旅 長野編 (エイ文庫)
竿をかついで一人旅 長野編 (エイ文庫)
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水利権と鮭

【ニュース】千曲川、サケ遡上65年ぶり ダム水利権取り消しの恩恵: リバーポリシーネットワーク (River Policy Network)
先日 NPO法人 新潟水辺の会の代表でもある大熊孝(新潟大学名誉教授)の話を聞く機会があって。
この水利権の話をされていた。
JRが違法に取水していて、それがバレて、水が戻った。
そうしたら、鮭が戻ってきたのである。
もちろん、それまでに、稚魚放流を繰り返し行っていたのである。

人間という欲望の動物が行う愚かな業。

新潟からの電気で山の手線は動いているという事実。
都会人は自分たちの便利が実は、上流やそこに住む多くの人間と動物、自然によって守られていることを知らないといけないのです。

牡蠣礼讃 畠山重篤 文藝新書 2006

牡蠣礼讃 畠山重篤 文藝新書 2006

「森は海の恋人」の畠山さんである。
一芸に秀でていると人、あるいは道を究めた人というのは謙虚である。そしてご自身のこれまでの苦労を昇華して、個人の富に生きるのではなく、利他に生きるのだろう。
牡蠣の養殖を生業としてこられた畠山さんの生き様がまとめられていて、まさに牡蠣への愛情が溢れている。
普段、食べるだけの牡蠣であるが、この本を読んでから食べるとさらに美味しく感じることは間違いない。それは、牡蠣養殖に生涯をささげた多くの日本人や他国の人々の歴史や牡蠣の文化が凝縮されているからである。
牡蠣には5種類ほどあり、それぞれに特徴がるあること、料理や好みの差があること、宮城産の牡蠣がフランスで食べられている牡蠣の先祖であること(日本から輸出)などなど興味深い内容が盛りだくさんである。


牡蠣礼讃 (文春新書)
牡蠣礼讃 (文春新書)
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禁じられた死体の世界 布施英利 青春出版 1995

図書館本

布施さん(1960−)の東大養老教室時代のお話。布施さん自身は芸大出身で現在(2010時点)はまた芸大に戻られている。
養老さんの高弟と言われていたとことは知っていましたが、初めてその著作に触れました。
現在は死を隠蔽し続ける社会だといわれる。そのことを死体を通して語る。

こんな文章がさすが養老門下だと思うのである。
生の始まりの「瞬間」などというものは、ない。
死にも、それを生とへだてる瞬間などない。
死を「瞬間」に押し込めてしまうことで、死がわかったつもりになる。おかげで、死を真正面から見据えることがなくなる。
死を瞬間の彼方へと消し去ってしまった現代に、もう一度「死」を見据える。それによって「現代」が直面しているさまざまな問題を、解決へと方向づけることができるのではないだろうか。

ちなみに、本書は人ごみの電車やバスの中で開かないことをお勧めします。結構見る人によっては怖い写真がありますので。

禁じられた死体の世界―東京大学・解剖学教室でぼくが出会ったもの
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ラジオ版学問のススメ 内田樹

iPodtouchにダウンロードしてたまに聞いております。

街場のメディア論はまだ読んでいないのですが、ブログ等で、内田さんの
メディアに対する主張はおおよそ分かっていたのですが、ご自身で喋られる内容は非常に分かりやすいです。
MP3がダウンロード出来ますが、是非お聞きください。

簡単に言うと、テレビと言うメディはダメじゃないのかな。
我が家もテレビ見るのはおいら位で、子供はテレビなんか見ないし。。。


http://www.jfn.co.jp/susume/#40

ちなみに学問のススメは凄いゲストが沢山登場しておりますね。
DLしてあるけど聞いてないものが多いです。

誰が開高さんの後を継ぐのだろう

開高健氏の業績に光、生誕80年記念しゆかりの茅ケ崎で企画続々/神奈川 (カナロコ) - Yahoo!ニュース


井伏鱒二、開高健と言った作家、釣り師の世代交代をしてくれるのだろうか?

釣りという遊び、そこから生まれる文化、関係性を次の世代に受け継いでいけるのだろうか。
以下記事
開高健氏の業績に光、生誕80年記念しゆかりの茅ケ崎で企画続々/神奈川

カナロコ 11月5日(金)15時0分配信
 作家・開高健氏がこの世に生を受けてから今年12月で80周年。開高氏が晩年を過ごした茅ケ崎市では今月下旬から来年3月下旬まで、市内で記念イベントが相次いで開催される。作品展示や在りし日の写真、開高氏をよく知る関係者らのトークショーなどを通じて、開高氏の業績をあらためて振り返り、その魅力に迫る。

 開高氏は1930(昭和5)年12月、大阪市に生まれる。54年に寿屋(現・サントリー)に入社。宣伝部員となり、PR誌「洋酒天国」の編集発行人を務めた。28歳の時に「裸の王様」で芥川賞を受賞。その後、朝日新聞社臨時海外特派員として戦火のベトナムに赴き、「ベトナム戦記」などのルポを執筆した。無類の釣り好きでも知られ、「フィッシュ・オン」「オーパ!」など釣りを題材にした作品も多い。74年12月に東京都杉並区から茅ケ崎市東海岸南に転居し、89年12月に死去した。

 記念イベントは、市民らでつくる実行委員会や市、市文化振興財団の主催。11月21日の市美術館を皮切りにさまざまなイベントが企画された。市美術館では、寿屋宣伝部員時代に残した数々の作品を取り上げるなど、作家として本格的に始動するまでの開高氏に焦点を当てる。

 記念館では作家・開高健をクローズアップ。代表作「夏の闇」などの原稿や創作メモ、家族らにあてた手紙など開高健記念会が収集した品を特別に公開する。市民文化会館では旅人としての側面に光を当て、開高氏が釣り紀行などで訪れた南北アメリカやアマゾン、モンゴルなどの旅の記録をたどる。

 また邸宅近くにあり、開高氏がよく食事などを取っていた「ラチエン通り商店会」も17店舗が参加し、写真展を開催する。記念イベントに関する問い合わせは、市文化生涯学習課電話0467(82)1111。

オバマさんは鎌倉に来るのだろうか?


横浜は既に厳戒態勢で日本全国の警察官が集まっております。
当然、観光地である鎌倉も警備が厳しくなっておりまする。

こんな案内が市長の日記にありました。
世界に観光都市を売り込むのは良い事ですが、人だらけの鎌倉も困ったもんです。お土産屋さんには良いけどね。先日の伊勢神宮ちかくのお土産屋さん通りには驚いたというか呆れたものです。



以下案内
2010年11月4日(木) 交通規制


APEC首脳会議に伴う配偶者プログラムのため11月13日(土曜日)に鎌倉市内に交通規制が行われます。
詳しくは、下記の関連資料(PDFファイル)をご覧ください。

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/koutsu/documents/apec_kisei_20101104.pdf

美林を子孫に遺す

民有林の間伐 町が代行  - 山梨日日新聞 みるじゃん


100年の森を作る取り組みは他の市町村等でもあるとは思う。

この町の森林組合にはやる気のある人達が多い事を、以前訪問した時に知った。結局は「人」である。

町単独などと言わず、外部からの寄付やサポートを受け入れてもよいではと思う。もちろん、緑のオーナー制の様な投資とかは考えず、単に利他的に綺麗な森を遺したいと思う人達からの浄財を求めればよいかと。
出来れば、町内の温泉いつでも無料なんかつけてくれると嬉しい人が多いとは思うけど(笑)

以下記事
2010年11月05日(金)
民有林の間伐 町が代行 
早川町が計画 
進む荒廃みに歯止め 森林機能回復狙う 

 荒廃が進む民有林の再生に向け、早川町は所有者に代わって間伐を行う事業に乗り出した。町森林組合に作業を委託し、間伐にかかる費用を町が全額負担する仕組みだ。年間5〜10ヘクタールずつ長期的に整備する計画で、町は年明けにも伐採を始める。民有林をめぐっては、木材価格の低迷や担い手不足から手入れが行き届かない森林が増えており、町が森林整備を代行することで、土砂災害防止や二酸化炭素(CO2)の吸収など森林が持つ機能の回復を目指す。
 「100年間、整備を続ける」という思いで、「100年の森づくり計画」と名付けた事業は、町内にあるスギとヒノキの人工林を対象に実施。町と森林所有者、町森林組合が協定を結んだ上で、町が間伐作業を組合に委託。費用は町が支払い、所有者には負担が生じないが、山林の伐採や売買に一定の制限を設ける。
 現在、スギとヒノキの人工林約6千ヘクタールの中から、間伐を行う森林の絞り込みを進めており、早ければ年明けに間伐作業に着手する。町は初年度の経費として本年度予算に500万円を計上。来年度以降は1千万円を上限に予算を計上し、年間5〜10ヘクタールの民有林で間伐を行う。
 切り出した木材は、町営温泉施設のボイラーのまきとして利用。将来的には間伐材を建築材として出荷することも視野に入れている。
 町振興課によると、町は面積の96%を森林が占め、このうち半分は民有林。かつては林業が盛んで、手入れもされていたが、安価な木材の輸入で採算が合わなくなると、「放置されて大半が荒廃林になった」という。民有林の所有者は高齢化が進んでいる上、一部は町外に移住するなどしており、町は「山の管理を所有者任せにできない」と判断。町の負担で民有林の整備に乗り出すこととした。
 県森林環境部によると、「市町村が費用を全額負担して民有林の間伐を行うという事例は聞いたことがない」という。辻一幸町長は「林業の再興による雇用創出も期待できる。森林が果たす役割に目を向けてもらうきっかけにもしたい」としている。


上から目線の人

自然に学ぶ"森里海連環学"のすすめ (天野礼子の「環境と公共事業」)
いったいこの人はどうしてこんなになってしまったのだろう。あまごを釣っていた頃と今を比べてはいけないのだろうが。

養老先生のいう所の参勤交代は子供や官僚がもっと自然に触れて身体性を再認識しろということで、2軒家を持てなどと言ってはいない。

さらに
「20世紀に都市に集中させすぎた人口を、21世紀にいかにして田舎へ帰すか」を話し合った。

支配者の論理ですよね?

いったい何様?

医療費問題

先の片品の哲学塾の折、ある県から行政関係者が教えてくれました。
その県の75歳以上の医療費は年間1500億円(個人負担を除く、公的負担のみ)だそうです。

また、ある方は自分の年金が娘さんの給料よりよいと話されていました。
まあ、この場合、お婆ちゃんから孫等へお金は回るのですから、まだ良いのでしょうが、老人医療という注ぎ込むだけの予算の問題はどうするんでしょうね?

命の尊厳とか言われますが、管だけ繋がれていて生き長らえている人々も沢山います。

ノブレスオビリージュなご老人も沢山知っておりますが、単なる平均寿命が世界一の国は、実は戦争や外交で負ける前に、やっぱり老人に負けるんでしょうかね。

年金受給者の選挙権はく奪、高額医療費の削減、公務員給与カット、消費税アップ、教育無料化の拡大、首都機能移転(金掛かりすぎかな。。)

こんな事しか頭に浮かばないな。
やっぱり今の高校生や大学生が考えた方が名案が出ると思う今日この頃。

未だダムありきで進む議論 どうしてダムが欲しいのだろう。

委員辞任: 高瀬川のほとり


ダムは誰のものだろう?誰のためのものだろう?
そんなことを考えずにはいられない。
人間の欲望という魔物が棲む世界。
いつか変わるのだろうか。

以下ブログより
槇尾川ダム建設を巡って議論してきた大阪府河川整備委員会の委員を、昨日辞任しました。
 「ダムと河川に洪水を押し込めるという従来治水から脱却して、住民の命を守ることを最優先として、限られた予算の中で、様々な対策を組み合わせた新しい治水の考え方を大阪から打ち出したい」という橋下知事の強い想いで発足した委員会。委員を引き受けるにあたり、「この委員会は、これまでの考え方を根本から変えることに挑戦するもので、いくら委員が意見を述べても、大阪府の役人が本気で考え方を変えようと思わなければできるものではない。彼らが本気でやるのなら、参加する。」と申し上げ、府の幹部役人の「決してダムに拘らない。本気で考え方を変えます。」という言葉を信じて委員就任しました。
 委員会発足当初は、本気でやろうとしているのかと思いました。しかし時間が経つにつれ、役人の作成する資料や説明は、「どうしてもダムを造りたい」という姿勢があらわとなり、これはダメだと思い、橋下知事に「結論がダムと決まっているのなら、私が委員である意味はない」と申し入れましたところ、「ダムが不合理であるなら、建設しない。とことん意見を言ってほしい。」ということだったので、継続してきました。
 その後の審議過程でもダム建設に有利な資料は提出するが、不利な資料はできるだけ出さないという府の姿勢は変わりませんでしたが、議論を整理していくとダムによらなくてもコストも環境に与える影響も小さい河川改修案でいけるということがわかってきました。昨日の委員会では、委員長がこの河川改修案が妥当であるという取りまとめ案を提示されましたが、極めて残念ながら委員会として意見統一ができませんでした。
 委員会の最後に私から知事に、「最後の最後まで、府の役人はダム建設に拘って、資料を作成し、説明をしてきた。私が委員を引き受けた時に確認したことが、まったくなされなかった。この委員会の運営体制はマイナス2万点です。」と申し上げました。
 そして委員会終了後、知事に委員辞任を申し入れました。
 ダムはできるだけ造りたくないという想いは知事も多くの委員も共有していると思います。ダムよりもコストが小さく、環境への影響も格段に小さいダムに替る代替案が提示されているのです。槇尾川ダムをどうしても建設しなければならないという合理的な理由はありません。知事が大阪府民の代表として、自らの信念に基づいて、決断されることを念じています。
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鎌倉おやじ
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