おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2009年04月

国際電話

昔々、パースントウーパーソンで電話を掛けるのにテレコムの事務所に行って予約して、次の日にまた出かけて電話した。相手が出ればよいけど、でなければ無駄な時間となってしまう。さらに値段もかなり高かった記憶がする。
それが今では携帯から携帯にいとも簡単に掛けられてしまう。
こちらから日本だと1分間40円ほどだろうか、ところが日本から普通に(なんのサービスも利用しないと)掛けると1分数百円、さらにドコモの国際携帯だと受ける側も1分間160円だかをチャージされる。(なんじゃこりゃ)

さて、そんな馬鹿高い日本の電話料金であるが、世の中は違うのである。
PC同士であればメッセンジャーで無料でテレビ電話が出来るし(ネット料金は別)、SKYPEなら日本の固定電話へ2円/分、携帯へは17円/分である。

ちなみにおいらのネット環境は2時間200円ちょっとでお高いがスピードはそれほど遅くない。ネットの通話の方が携帯より音質が良い。

浦島太郎状態のおやじである。

ダムの魅力?

日本一のダムと日本一のうどん - 山梨県知事と職員のブログ〜やまなしものがたり - 楽天ブログ(Blog)
「自然と人工物の融合美」「巨大な構造物の迫力」「ダム湖に写る四季の景色」


ふ〜〜〜ん
おいらは全く「美」だの「迫力」だの感じません。
いえいいんですよ、別に感じる人がいてもね。
多元で多様な人間ですから。
でも、少なくとも子供にはこれを「美」などと到底教えたくないね。

吉田のうどん、うまいよ確かに。
でも何でも日本一とか世界一と言った瞬間に、へそ曲がりオヤジはドン引きです。

備忘録

2009年4月27日「科学技術外交採択テーマ生物資源関連増加」 サイエンスポータル編集ニュース 科学技術 全て伝えます サイエンスポータル / SciencePortal
とりあえず記憶に残しておこう。
ハウステンボスの男さんも来れると良いね(笑)

悪の愛情論 とらわれない愛 小池真理子 角川文庫 1987

まえがきで小池さんが書く。「私は本書の中で自分を含めて、人間の心理、男と女の関係の真実を、できる限り正直にありのままに書いてみた。まやかしでない、キレイゴトではない、社会に規定されてない人と人との関係が欲しかったかれである」
小池さん35歳の作品。
目次を記しておこう。
1.愛はインモラルなもの
2.恋愛は共同幻想である
3.妻にならないことの選択
4.愛の呪縛からの解放
5.女のダンディズム
6.女の役割常識を打破せよ
7.女は皆ドンファンである
8.結婚の虚像は何も生まない
9.愛の神話は信じられない
10.あるがままに生きよう
小池さんの若気のいたりなのか、すべて自分がマイノリティーであり反体制側にいるような感じで話が進むのであるが、それはそれで当時の小池さんのまさに生き生きとした「生」であり「性」であるのだろう。多元で多様な愛情論があって良いわけであり、あえて「悪」と銘打って論じなくてもオヤジは思ってしまうのである。さらに最近(2008−)の小池さんの作品に醸し出される何か青春時代を懐かしむ様な甘酸っぱい恋愛ストーリーへの助走期間作品が80−90年代の彼女なのかと。


悪の愛情論 (角川文庫 緑 494-4)
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東スポファンのみなさま

ヘビが金を吐く
奇妙な病気(本当は奇妙でもなんでもなけどね)
天使が下りた
などなどですね。

健全な自由がありますね。
酔っ払って裸になっても逮捕されないと思うよ。ここでは。

右にならえ的なマスコミ報道って大本営発表と同じじゅね?

頑張れ東京スポーツ!DSC00068DSC00069DSC00070DSC00071

欲望 小池真理子 新潮文庫 1997

初出は1997同名で新潮社。読んだ文庫本も12刷と人気の作品らしい。500ページ弱にもおよぶ作品である。小池さんの最近の作品(ふたりの季節)のアマゾンでの評価がそれほどでも無い理由は「恋」「欲望」等のある種、非日常的でインモラルで殺伐としてミステリアスである文脈が変化して温かみのある作品に変化したからだろうか?
さて本作品は主人公青田類子の中学時代から中年まで(33で結婚し13年が過ぎた現在で終わる)の生き様である。おそらくは小池さん自らの生きた時代の足跡をたどる旅のようにも思う。
正しい人生だとか間違った人生などという区別が無意味な様に、多様な恋愛の形があることを類子の生きた人生をなぞりながらストーリーが進んでいく。
そしてふと今まで生きて来た足跡を振り返って眺めてみた。確実に心に刻み込まれた人生の襞を時に愛おしく撫ぜながら今を穏やかに生きている。
そんな小池さんの人生なのかなと思った作品である。


欲望 (新潮文庫)
欲望 (新潮文庫)
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BBCミーティング



シングルモルトをこよなく愛す前ボスのために、真剣にマッカランを探したのだが見つけられず、しょうがないのでヘネシーを買い込み出かける。
あれ!あるじゃん。趣味が合ってました。
次回は買っていかねばだな。
横飯(英語で一緒に飯)も横飲み(英語で一緒に飲み)も得意ではないが(英語が良く分からないから)、通常表に出ない話が何気に聞ける訳です。そう言う意味では横飯より横飲みです。これは世界共通?(除くイスラム圏?)
でもインドネシアの山奥でモスレムの人とイノシシを隠れて食ったな。。。
宮本常一が村などに入って、夜這いや間引きの話が出ないような民俗採集は民俗学にはならないとどこかで書いていたが、表面だけの綺麗事だけではぶっちゃけた話は出来ないのだと思う。
まあ、いずれにしてもマッカランを久し振りに口腔内に転がし幸せでございました。
もちろん日本人村でもお付き合いはしますが、郷にいっては郷に従えでしたっけ?
本音で行かないとね。

BBCですか?
BAD BOY COMPANYですよね。当然です。イギリスの放送会社ではありません。
飲む飲まないは関係なくて、他者との関係性の中で物事が動いていくわけですね。
macllancakecakecutbbcw

ボルテール?でしたっけ

「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は死んでも守る」

こんな常識すらなくなるのかな?日本は。いや世界的にかな。

テキストしか読んでないからわからないですがね。
酔っ払って裸になって逮捕されて家宅捜索ですか。
公然わいせつですか、深夜でも。

「祭り」を作り出し、生贄を必要としたのは遠い昔では?
あるいは歴史は繰り返すの格言通りに動くのか。

東京というローカルでありながら共同体を失ってしまった現実が
この程度なのだろう。

長老がさっと出てきて折り合いをつける時代はもうないのだろう。
ますます、アイソレイトされた社会が浸透していくのかな。

生ビールと羊の串焼きを食いながら考えた。いや、妄想しただな。

退職金制度やめるべきだな

退職金制度は年功序列のバロメーター - Joe's Labo
城繁幸さんのブログ。彼の本は結構面白い、いや将来を見据えて発言している。ぜひブログで興味を覚えた方は、買うなり、図書館で借りてみてください。税金で給料貰っていて専門書を書く大学教員の本より雲泥に安いですから。
さて、退職金、あるいは賞与であるが。まったく城さんと同じ考えである。若年層に負担を強いて、さらに年金の負担までさせて、働かない上司がいかに多いかとお嘆きなあなた。給料を上げろと平気で365日のたまう労働組合の皆様。
どうでしょうか?格好良く、退職金受領辞退、賞与受領辞退して野に下るのは。
ほらそこのあなた、勤務時間中にこんなくだらないブログ覗いていて良いのですか?しっかり県庁からのアクセスログが残ってますよ。
若者のためにどうぞ早く辞めてください。
それが日本の将来のためですから。


3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)
3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)
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若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)
若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)
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森林再生偽装 植えない森づくり

林野庁の林業暴走 : 森林再生偽装と森林再生パートナー - livedoor Blog(ブログ)
森林環境と林業環境をごったにして税金をつぎ込こもうとする輩がいる。まさに既得権益を守ろうとするだけの行政とそれにぶら下がる関係者だろう。
豊かな森(いくぶんあいまいな表現だが)を構築して後世に伝えるのが今を生きる人々の役目とするならば、行政の税金などあてにせず、何が今必要なのかを考えるべきである。毎年決まった予算を消化することにだけ力を注ぐアホな行政と公務員などは無視して。
昔は林務部、今は森林環境なんとか部などと偽装しつつ、環境を壊す輩たちである。
森林環境税などという馬鹿な税金の枠組みを作り出そうとするし、いったい何を考えているのだろうかね??頭の丈夫な人間がいないのだろうか?
まあ、国交省あたりも同じだし、去年はガソリン高騰で騒いでいたのが、内需拡大という旗印でETC高速道路値下げだの、新車購入補助だの、さらには給付金だって。
まさに貨幣が精神を殲滅したのだろうな。内山節さん的には、「冷たい金」がこの世のすべてになっていくのだろう。
失われた10年でなくてゴールを過ぎた10年だということはどうしても認めたくない人たちが多いのでしょう。
日本から離れれば離れるほど、日本の馬鹿騒ぎが良く見える。

植えない森づくり
良いのではないでしょうか
人間にも動物たちにもね

うわさ 小池真理子 光文社 1998

独楽の回転、災厄の犬、ひぐらし荘の女主人、うわさ、この4編からなる。
小池さんの作品を読むに従い、一定の法則の様なものが存在することが分かる。
それは、人が死ぬ、殺人であったり謎を秘めた死であったりする。もう一つは登場する男たちに正なり負の部分をデフォルメしていて、それを見る女性がなぜか非常に冷静にえがかれる。もちろんサスペンスであったり推理であったり、また恋愛ストーリーであるから、それはそれで良いのであるが、読み始める前に、少し構えてしまいます。
そんなことを考えていても、読みだすと、ついつい時間を忘れて読み進んでしまうのが小池真理子という作家の凄いところなのだろう。


うわさ (光文社文庫)
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宮本常一を歩く 毛利甚八 小学館 1998

毛利甚八(1958− 長崎県佐世保生まれ)さんが宮本常一の著作を読み込み、旅の巨人と言われる宮本な歩いた道程を訪ねる旅を綴る。
宮本常一の人柄等を書いたものには佐野眞一氏の多数な書籍や木村 哲也さんの「忘れられた日本人」の舞台を旅する、網野善彦さんの著作などがある。また多く宮本が歩いた村などの写真集も出版されている。
本書は毛利さんの愛して止まない宮本に自分の育った村(共同体とでもいうのだろう)を感じつつ、自分の中の宮本常一を探す旅でもあったのだと思う。
人それぞれの宮本常一があり、評価があるのだろう。土佐源治の源流も「乞食」であろうがなかろうが良いのであると思う。
そして発展ということは、大都市や地方都市だけの当てはまるものでなく、今まで住むことのできた世界(辺境の地)をこれからも住んでいけるようにすることだろうという、宮本の思いを毛利さんも強く旅の中で感じたことだろう。そして毛利さんは記す、「奇妙な物言いかも知れないが、私は宮本の文章の、その筆圧の高さや息づかいに惹かれてふらふらと旅にでる。文章の奥にある感情の起伏に目をこらし、味わうために、宮本の訪ねた土地に身を置いてみたくなるのである」
備忘録として。
宮本が奔走することになる離島振興法の基本となる島嶼社会研究会(学者の集まり)で
公職追放から解かれた渋沢敬三(顧問)がこの研究会が政治にかかわることを積極的に勧めたが、次の条件をつけた。
金をもらわぬこと、悪いことは悪いとはっきりと言うこと、ペンで戦え。


宮本常一を歩く―日本の辺境を旅する〈上巻〉 (Lapita Books)
宮本常一を歩く―日本の辺境を旅する〈上巻〉 (Lapita Books)
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宮本常一を歩く―日本の辺境を旅する〈下巻〉 (Lapita Books)
宮本常一を歩く―日本の辺境を旅する〈下巻〉 (Lapita Books)
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「忘れられた日本人」の舞台を旅する----宮本常一の軌跡
「忘れられた日本人」の舞台を旅する----宮本常一の軌跡
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『忘れられた日本人』を読む (岩波セミナーブックス)
『忘れられた日本人』を読む (岩波セミナーブックス)
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写真でつづる宮本常一
写真でつづる宮本常一
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大人買い?

気楽に読める本を。でもな〜〜〜 偏り過ぎというか、

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
商品名           数量     単価
怪しい隣人 1(点) 105円
危険な食卓 1(点) 105円
夜ごとの闇の奥底で 1(点) 105円
瑠璃の海 1(点) 105円
虚無のオペラ 1(点) 105円
泣かない女 1(点) 105円
会いたかった人 1(点) 178円
夢のかたみ 1(点) 105円
無伴奏 1(点) 105円
薔薇船 1(点) 105円
倒錯の庭 1(点) 105円
肉体のファンタジア 1(点) 105円
水の翼 1(点) 105円
記憶の隠れ家 1(点) 105円
見えない情事 1(点) 105円
仮面のマドンナ 1(点) 105円
水無月の墓 1(点) 105円
贅肉 1(点) 105円
彼女が愛した男 1(点) 178円
蠍のいる森 1(点) 105円
With you 1(点) 178円
薔薇いろのメランコ 1(点) 105円
ナルキッソスの鏡 1(点) 105円
ノスタルジア 1(点) 105円
ひるの幻よるの夢 1(点) 105円
忘我のためいき 1(点) 105円
悪女と呼ばれた女た 1(点) 178円
夜は満ちる 1(点) 105円

実験室

ちょっとガラス越しに撮影

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悼む人 天童荒太 文藝春秋 2008


天童さんの作品を読むのは「永遠の仔」以来である。その作品を凄かった。
人間のもつ多様で多元な性質とでも呼ぶのであろう人間性をこれでもかというほどに綴っていた様に記憶している。
本作品は生老病死の物語であるのだけれど、文末に置かれている参考文献でふと僕は気がついた。文献、映像とあり、最後に展示とある。その展示の項目に置かれているのが「生命のメッセージ展in 早稲田大学」2004年である。これは現在も続けられていて、僕も拝見させていただいた。交通事故や事件と言った不条理とでも言ってよいであろう文脈の中で亡くなって言った人々の記録であり、想い出であり、記憶なのである。
悼む人のゴールは何処なのか分からない、しかし、「亡くなった人は誰に愛され、誰を愛して、そしてどんなことで人に感謝されたのでしょうか」その本質こそが人が人である理由なのでしょう。
生老病死が循環する時間の中で回り続ける、そして人の心の中で人はまた生き続けるのだろう。自然となぜか涙が落ちる、そんな愛のものがたりである。


悼む人
悼む人
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雨期なのです

TVで雨期に入ったと言ってました。
涼しくてよいのでありますが、マラリアが増えるのです。
幸いのことにこれまで一度も感染したことはありません。
家族も2年間居た期間中になったことがありません。
もしかして耐性遺伝子を持っている?(笑)
鎌状赤血球だったりするのかな。。

油断は大敵です。

蜜月 小池真理子 新潮文庫 2001

初出は1998年新潮社。
44歳で逝った天才画家と愛を交わした6人の女性たちの物語。
形無き恋愛の中に小池さんの欲望が感じられる。小池さんは自著で、惚れる男がいるから生きている、と言うような文章を書かれている。
100人の女がいれば100の恋の物語があるのだが、一人で沢山の恋の物語を演じる小池さんがこの物語に見える様だ。モラルとか世間とかと言った文脈はそこには見えない。
良いか悪いかなどという単純な2者択一はありえないのである。


蜜月 (新潮文庫)
蜜月 (新潮文庫)
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民俗学への道 宮本常一 未来社 1968 宮本常一著作集 1  2000円

読んだものは1985年9刷
まえがき、1955年9月 あとがき1968年5月19日午前4時

まえがきに書いている。珍しい習俗を見つけ出すのがこの学問ではなく、むしろ、なぜ珍しいものが残ったのか、また、なぜ珍しいと思うようになったのか、ということが問題なのである。そこに、生きている現実の社会をとらえて行こうとするものの心構えがなくてはならぬと思っている。そして、ものを見きわめていく方法と考え方は、たえず、自分で新しくして行かねばならない。
柳田国男、渋沢敬三といった日本の民俗学を確立した人、地道に郷土の民俗を調査研究した人々の努力が無文字社会から受け継がれた素晴らしい伝統を今に伝えている。それは支配側からでは記録されないであろう歴史でもある。
もしも、宮本さんの資料が大阪の空襲で焼けていなければ、さらに素晴らしい生き生きとした全国の村々の世界が私たちの前に現れていたことだろう。
まさに旅する巨人の足跡を本書から間違いなく感じてもらえるだろう。
最終章の「あるいてきた道」を除いた部分は武蔵の美術大学短期学部が1983年に同じく未来社より通信教育教材として出している。


宮本常一著作集〈第1〉民俗学への道 (1968年)
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民俗学への道

怯えの時代 内山節 新潮選書 2009


内山さんは大分昔の著作で「不安な時代」を見事に指摘した。そして今は、さらに不安から「怯え」なのであろう。
資本主義における市場主義を受け入れることにより得られた「自由」とは一体何であったのか?それを担う「貨幣」あるいは「金」というものの役割を考え直さねばいけないと。
それは社会主義ではなく、「連帯」であると。冷たいお金から暖かいお金への枠組みの移行だろう。すでに内山さんの本で書き尽くされている貨幣の使用価値と交換価値であったり、自然を中心に据えた共同体として人間の生き方の提言である。
前半部分ではアメリカの市場経済システムの破綻を1929年世界恐慌にさかのぼり、そこから現在のさらなる破綻への流れを紹介している。そこには戦争を導きだす統制経済が見える。これも内山さんの著作にあるが、まさに「戦争という仕事」に向かう人類が見えてならない。
最終部分では、日本に今も脈々と流れる自然の中で生きている共同体、すなわち助け合いの精神を「講」や「無尽」などを例にだして紹介している。
そこには、内田樹が記した、I can not live without you. と全く同じ世界があるように感じたのは自分だけだろうか。人は他人との関係性の中にしか存在しないのだと。

ただ、本書を読んでいて、いつもの内山さんの書きぶりとは少し違う(違って当たり前なのかもしれませんが)と感じた。どこか書き急いでいて、後ろから急かされているような。
秋葉原で起こった大量殺人事件を例にあげての展開にも少し違和感を感じた。(神戸の少年が起こした首切り事件も池田晶子が意味じくも指摘したように、民俗学者は過去においてその様な事件は「鬼」が出たとして多く歴史に残されていて、特殊ではないと)


怯えの時代 (新潮選書)
怯えの時代 (新潮選書)
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イースター休暇の過ごし方

10日から13日までお休みでありました。
でも10日は仕事をして、夕方からお出かけ。
国立劇場(これは中国がだいぶ昔に援助で作った)でゴスペルを聞く。
音量がでか過ぎて耳が痛い(笑)途中で退散
その後、スタッフの家族とピザ屋でビール。

12日はクリケットの試合観戦。
U-19のナイジェリア対ガーナ
ルールを良くしらないけど、のんびりと観戦できるのが良い。
当然、ビールを飲みながら。
その後、スタッフの完成した家を拝見に。
ちなみに画像の裏庭の犬小屋。敷地は50坪以上か?
母屋も撮影したが、反感を買いそうなので見せないことにしましょう。

あとは食料品の買い出ししたり読書三昧でした。
本は読みだすとあっと言う間に時間が流れていきますね。
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必需品?

分かる人にはすぐわかる、キャンプで使う道具。

アフリカは中国製品が溢れているわけですが、これはお手頃でした。
200円位です。
沢山買ってお土産にしようかと(笑)

小さな子どもに炭おこしを頼むと元気にやってくれます。
そして火起こしの原理を教えてあげればお勉強にもなる(笑)

早々南アフリカ製の結構ありますね。
DSC00104

北岡伸一教授(前国連大使)のレクチャー

4月2日(画像のタイムスタンプは日本時間)にGAJUと日本大使館の主催で北岡先生の日本の近代化に関するレクチャーが職場で行われた。
初めに歴史的な話からはじまり、縄文時代からだったのでこれはダルイかなと思っていたら、話が進むにつれて面白い面白い、やはり頭の丈夫な人の話は面白い。適度なウイットの効いた文脈を駆使して聴衆を話の中に引き込んでいく。
日本の発展の理由としてあげたいくつかの指摘はまったく同意するとこであった。
すなわち、
1)権威と権力の分離(これは佐藤優氏も指摘していたと思う)。天皇と時の支配側が上手に?折り合いをつけてきた。(網野史学で7世紀を日本国と日本人の誕生とすると実に1300年にも及ぶ日本国の存続などというのはまさに世界の一つの存在である)
2)equality(同等性、平等性とでも訳すかな)。ジョークで例に出されたのは、GMの幹部とトヨタの幹部の給料の差は、おそらく10倍以上GMの方が高いのではと。
3)日本型開発援助。欧米は「教える」という態度でこれまできたが、日本はアジアでの成功を見ても「ともに考え、働く」である。
このような日本のあり方は国連の常任理事国入りが果たせた場合において、いかに平和的に世界構築が出来るかを示していると指摘した。さらにアメリカを除く他国の国連分担金が日本を大きく下回ることもボヤキ?ガーナのPKO貢献が非常に大きいと持ち上げた。

画像の後頭部はクフォー前大統領DSC00112

博士の愛した数式

図書館DVD


原作を読んでいないのだが、綺麗な風景の中で織りなされるヒトとヒトとの関係性が見事であると思った。エンディングのクレジットでその風景のほとんどが長野県であることを知り、南木さんの映画化された「阿弥陀堂たより」の風景も確かこんな感じだったかなという記憶が蘇った。主人公の博士を寺尾聰が演じるが、阿弥陀堂だよりも確か寺尾さんであったと思う。実にすばらしい演技である。自分が知っている寺尾聰は大学時代にはやった「ルビーの指輪」の歌手であり、いろいろな想い出が詰まった曲でもあった。
虚数を使った数式から導き出される男と女の物語、モラルという世界では許されえない関係の二組(義姉と博士、家政婦さんとして働く女性とその子供(ルート))の間の関係式。
一つの恋があれば、ひとつの数式が導きだされ、男女の数だけ違った数式があるのであろう。そしてその数式は人間の関係性の中でいかようにも展開されていくでもある。


博士の愛した数式 [DVD]
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労働の内容の比較でしょう、やっぱり

国家公務員より高い甲府市職員給与
国家公務員より高い地方公務員が沢山いてもよいのです。問題は仕事をしているかどうかでしょう。単なる年功序列と終身雇用は最悪です。さらにワークシェアリングすら無視するような組合の皆様も多いと聞きます。さらに退職金減額に反対したり2%の給与減額にも強く反発する皆様も多いと。

ちなみに、某県におった時に感じましたが、まあ、仕事しないオヤジが多いことか。こんな人と霞が関を比べれば、霞が関のオヤジの方が10倍は働いています。そして給与はちょっと良いだけです。
どれだけ、住民のためになるのかが公僕の至上命令でしょう。
10年毎位に再度試験をすればよいと思いますよ。そして出来の悪いのは
どんどんお辞めいただけば。公務員を雇用対策にしてはいけないと思うのですよ。

浪漫的恋愛 小池真理子 新潮文庫 2003

2000年発表の「月狂ひ」を改題

おそらく「月狂ひ」というタイトルの方が内容を忠実に現わしているようにおもう。
同名の過去の小説を引用しながら、物語が進む。
文庫500ページにも及ぶ大人の恋の物語である。
自分の生い立ちにも影響されたのであろう、主人公の千津46歳、そして49歳の柊介。
出会いは必然なのか、偶然なのか。別れるために出会ったのかもしれない二人。
正しい恋や間違った恋がそこに在るのか。
美しい恋と汚い恋が在るのか。
女性からの視点なのだが、男性の心理描写もさすが小池さんなんだとう。
そして女性は本質的に強いのだろうと感じざるを得ない。
そしてそれは書き手の小池さんの人生をも反映しているのかもしれない。
一男性として非常に考えさせられ作品であった。


浪漫的恋愛 (新潮文庫)
浪漫的恋愛 (新潮文庫)
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イースターです

復活祭のお休みです。
10−12日の4連休だそうだ。
日本のお盆の様に民族の大移動。
道路はさらに渋滞。
活気にあふれている。
みな田舎でひと時の休息を取る。

おいらは一応10日はお仕事しますよ。
だって職場が静かで落ち着いて出来るしね。
その後は読書三昧でしょうかね。

ブラザー・サンシスタームーン 恩田陸 河出書房 2009


恩田陸(1964− )さんの本は「夜のピクニック」以来である。
自分の母校にも伝統としてある夜の長距離歩行という行事を題材にしていて興味を覚えたのである。そして素晴らしい作品だと思った。
その後、恩田作品を読むこともなかったのだが、今回の作品のタイトルにやられてしまった。自分の最も感動を受けた映画3本のうちの1本が、このブラザー・サンシスタームーンであったからである。
まったくの個人的想像であるが、本作品は恩田さんの高校時代から大学時代、そして今につながる個人史なのだと思った。自分を含めた3人の登場人物に青春時代ともいう不思議な時代を語らせていく。よわよわそうでいて筋が通っているような、そして少し感傷的な時代を。やはり恩田さんの心象描写は上手だとおもう。ただ、本題名の映画のことはあまり出てこないのが残念ではある。そんなこともあって廉価盤のDVDがあることを知り、思わず買ってしまった。
ちなみに感動の3作品の残りは黒沢明監督「デルスウザーラ」と「ある愛の詩」である。


ブラザー・サン シスター・ムーン
ブラザー・サン シスター・ムーン
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考える人 池田晶子 中公文庫 1988

初出は1994年の同名であり92年から93年に岩波書店の「よむ」に掲載されたもの。
本書を読んでまず感じたことは自分の教養の無さと、いかにこれまで「考える」ことを
してこなかったことである。
歴史上の哲学者の名前や有名な諺あるいは名言は知ってはいても、その根源に何があるかを知らなかったのである。50歳にもなる馬鹿おやじである。
池田さんの書は恥ずかしながら、逝去に近いものから読み始め、「14歳からの哲学」で専門用語によらない哲学(愛智の学)というものを知ったのである。
本書はまさにその「14歳からの哲学」の基になるような、西洋哲学の歴史を普段の言葉でこれでもかというくらい書き綴っている。
当然、おやじにすべてが理解できるわけではないのであるが、池田さんが言わんとすることの一部は理解出来たと思う。
哲学は遊びである。一生懸命になればなるほど面白い遊びなのである。考える快楽と言った池田さんの言葉がまさに的を得ている。そして「禅」に西洋哲学にも劣らない、あるいはそれに勝る力があることも。そして知ることより考えることであることを。


考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)
考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)
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森亮輔という人


森亮輔氏(以後ドクターと表記)が平成21年3月23日午前3時55分に逝去した。75歳の生涯であった。思うままに自分の記憶をたよりに綴っておきたい。それは彼が俺の第二のオヤジであると勝手に想い込んでいるからである。今後この文章は追記あるいは修正があるでしょう。

俺が初めてドクターに出会ったのは俺が18か19の時だと思う。割の良いアルバイトを探して、定期的に喫茶店のアルバイトをしたり世論調査のバイトをしていた頃だ。
いわゆるナイトクラブでのバイトを見つけた。夕方5時から12時の拘束であるが実質はまあ4時間程度だっただろう。日給5000円は当時の大学生には高給である。内容はと言えばオードブルを運んだり、ボトルや氷を運ぶだけである。もちろん膝をついてサーブするのである。
暇な時はカウンターの中で、ゲン付(この字で正しい?)でお客さんの高いお酒を一杯頂戴して飲んだものだ。
そんな時代に、ドクターは、飲みに来たのだ。それもシートに座ってホステスさんと飲むのではなく、カウンターに来て。
聞けばご自身の歯科医院がクラブの前にあるとの事で、まず一杯ひっかけて繁華街に出陣と言うことだったのだろう。それにしても駆けつけ一杯がクラブのカウンターでなくてもと今でも思うのだが、ともかくそれが出会いであった。よく考えれば当時のドクターは40半ばのバリバリの壮年時代であろう。それにも関わらずギラギラさが俺には感じられなかった。同世代の男どもが交際費や会社の金でホステスさんを口説いていたのにである。

その後、クラブは潰れ、ママはお客さんと結婚して新しいスナックを始めたのであるが、結局は離婚して店も手放すことになった様に記憶している。このママの話もいろいろあるのだがここでは止めておこう。
当時は携帯電話がまだなかったので、飲みに行っている人を探すのには「指名手配」が掛る。すなわち、行きそうな店に電話をするのである。だいたい弥生町界隈で飲み歩いていると行く店や梯子する順番が分かってくる。
ドクターの場合も診療後のコースがいくつかあった様である。サウナに行く日のコース、ボーリングの日のコース、家族と外で夕食の後のコースなどなど。
クラブが潰れた後にママの新しいスナックを手伝ったが、そこも代替わりがあったので、新しいバイト先を探していた矢先、「敏江の部屋」というスナックでバイトするようになった。そこの凄さは、スナックという枠を超えていたように思う。常に女の子が10人位いて満員が2−3回転するのである。当時、鳥取市でベスト3であっただろう。当時のママはまだお酒を飲んでいたしタバコも吸っていた(今もタバコは吸う)。内臓が弱いこともありいつも近くの内科で鎮痛剤を打っていたように記憶している。時には営業時間中に注射を打ちに出かけていた。そのスナックではバイトの学生はカウンターの中で水割りを作ったり、突き出しを運んだりしていた訳であるが、メインは女の子が話をするまでの場つなぎの会話も重要な仕事であった。特に霞が関からの出張族や大企業の鳥取支店幹部や公務員、企業幹部が多く、人を見る目はここで無料で(給料もらって)教わったようなものである。

ママが認めるお客は確実に偉くなったし、認めないお客は確実に落ちて行ったように記憶している。最近、このママ(現在銀座で飲食店をしている)がいみじくも言った事は「偉くなる人は真面目」だということである。当たり前のことが当たり前に出来る人が偉くなるのだろう。そして当時のお客さんは空気を読めたというか、満員でお客さんが来ると、すっと会計を済ませて次の店に移るのである。確かにバブルであったのかもしれないが、暇な店は沢山あったように記憶している。
その「敏江の部屋」もドクターの巡回コースであり、多くの歯科医や医師も訪れていた。
ドクターはいつも店がはねる(11時半)ちょっと前に来て、水割りと剣先するめ位で話をして、ママや女の子やバイトの子を連れて階下の炉端焼きや寿司屋(浪花が多かったかな)に行って飲み食いしたものだ。どちらかというと女の子より俺の方が多くお供したと思う。
その後は「一心」「はなじまん」など今もしっかり営業しているお店で旨いものをつまみながら一緒に酒を飲んだものだ。
そうそう、浪花寿司の前に「志げ道」という割烹があり、旨い刺身や煮付け、さらにはマムシの生き造りなんかを食べさせてもらったな。
あとスナック「すが」でも働いたのだが、やはりこの店もママが凄く出来た人で良いお客さんが多く勉強になった。この店も医師や歯科医が多かった。また企業人も多かった。
美人のお嬢さんがいて、結構一緒に遊んだものだ。

あとドクターと良く行ったのは「潤」というカウンターバーで、今も場所を移して営業している。マスターは俺を忘れていたが、相変わらず若造りでハンサムであった。告別式のネット配信にも花を手向けるマスターが映っていたな。
いろんな店に行き、名前も忘れてしまった店も多い。
「中山」という割烹では、ドクターと二人で店にある松茸を全部食したこともあった。
一度大学を卒業し東京で大学院を終えてなんとか職についてドクターにお礼の意味を込めて一晩の払いを全部俺がすると宣言したことがあった。
店の人が皆いきさつを知っているので、まけてくれているのがアリアリなのだが、すぐに6万円位になり降参した。当時ドクターは付け払いをせず(いつもしない)、毎回どの店でも現金払いであった。多くの同業者がつけで飲んだり、プロバーさんが支払っているのにである。そして店でたまたま会った県外の人なんかにも美味しい地元の魚やカニを惜しげもなく振舞うのである。

自分は大学院時代に結婚した訳だが、本来の新婚旅行は俺のケニアに調査のついでに連れて行こうと思っていたので、とりあえず沖縄にした。そして那覇からの帰りの便を大阪経由鳥取そして東京にした。(結局、子供が出来てケニアは俺だけだったが)
鳥取ではドクターや敏江ママがアレンジしてくれて多くの弥生町関係者がお祝いに駆けつけてくれて良い宴会が出来た。その時の写真がなぜかないのは飲み過ぎていたせいか。
宿泊は鳥取ニューオータニのスイート、前回泊まったのは皇后陛下だとの事だった。(慌てて従業員が清掃を始めたのを記憶している)
結婚式の時の宿泊はやはり敏江のママが帝国ホテルのスイートをプレゼントしてくれた。
確か東京でサミットがありニューオータニが取れなかったとか言っていたな。その帝国ホテルのスイートも六本木での3次会が長引き結局は3−4時間位しか滞在しないで沖縄行きの飛行機に乗った記憶が。

大学院を出た後もドクターのお嬢さんの一人が東京で仕事をしている関係やボーリングの試合の関係で東京に来た折には飲みに連れて行ってもらったものだ、本来はこちらが接待せねばいけないのに。
一度倒れて、診療をお嬢さんだけに任せた事があるが、リハビリで回復して復帰した。その後も酒を愛し、たばこはやめていたかな(ロングピース派)、回復祝いをした。

昨年の3月再度倒れたが、歩行訓練するまでになり、冬には温泉病院に移ってリハビリを続行するはずであった。だが誤飲性肺炎となり、胃ロウを装着し再度寝たきりになってしまった。3月14日に日帰りでお見舞いに行った際も桜の時期には意識も戻るものと期待していた。その日は奥様と長女と一緒に遅めの昼食を「たくみ」で取ったのだが、いくら食べても満腹にならなかった。生まれて初めての経験である。今思えば、ドクターが自分の分まで俺に食わせてくれたのだと思う。

そして23日、日本からは娘の芸大合格の知らせが携帯に届いた(日本時間の正午過ぎ)、そして、その事をメイルで銀座のママにも報告しておいた。その返事がドクターの逝去を知らせてくれた。さらにドクターの二女からもメイルで午前4時前に亡くなったことを知らせてくれた。娘の合格発表の前に息を引き取っていた。ドクターも沢山の油絵を描いていた、スポーツも愛していた、そして酒も酒場も。
生老病死は普遍である。だからアンチエイジングなどには興味がないが、人間未完成のおいらには不条理と感じた。自分の父親もおいらが30歳の時に亡くなった、親孝行ができると思い、やっと中古の家を韮崎に購入した矢先に。父親の死には立ち会えて、亡くなったすぐの顔は、こんな笑顔を見たことが無いというほどの笑顔をしていた。ドクターのお嬢さんもドクターが亡くなった後の顔は凄い素敵な笑顔だと言っていた。今頃、俺の親父とドクターは天国で酒を酌み交わしながら、馬鹿息子のことを肴に酒宴なのであろう。
内山節さんが時間に関する話のなかで、直線的に過ぎる時間には蓄積がない、循環する時間にこそ知恵や経験の蓄積を伴う流れがあると言ったと記憶している。ある種、山岳信仰的かもしれないが、死んだものは山に帰り、また里に戻ってくると。
いつの日か、あるいはもう自分の横にドクターも親父も姿を変えて現われているのかもしれない。

恩返しという、ヒトとヒトとの循環する時間の中で、永遠なる時間を漂いたいと、西アフリカの地で記憶を小さな蓄積に替えてみた。
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