おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2008年04月

道路特定は月1200億 滞納年間6億

公立高校の授業料滞納、5億8952万円…読売調査 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
比べる事に意味があるとは思いませんが、国の将来を真剣に考えるならば、公立は少なくとも大学まで無料でしょう。私立だった私学助成を上積みすればよし。内田樹氏もそんな様な事を書いてましたね。
もちろんモンスターペアレントによるクレームなんかには徹底的に闘うべきですがね。ダムにしても道路にしても、本当に欲しいのは、その事業に携わる人々の給料だよね、生活費。まあ一度出来たシステムを根本から変えるのは難しいのだろうけど。どこかから変えなきゃ延々続くわけだよな〜。
これ以上セメントとアスファルトだらけの国土にしなくても良いでしょう。
二階さんだがかストに参加していて映像とコメントが流れたけど、道路が必要じゃなくて、生活費って言えばよいじゃん。あまりに滑稽でしたね。

鳥取5

白兎の後は魚見台に行く予定が道が良くなっていて、山陰道の無料区間に入ってしまいオーバーラン(笑)
それにしても鳥取を離れてから一番変わったのは「道路」なのは間違いない。それと鳥取駅前の寂れたこと。
道路が増えたり拡幅するのは便利なのかもしれない。でも、ここまでやらなくてもと思ってしまうほど道路が増えていた。道路特定財源恐るべしである。違うところにお金をかけるべきでしょう、やっぱり。

さて、魚見台はバイクで良く来たものだ。適度な9号線のワインディングロードをちょっと制限速度をオーバーして(笑)流していた。

その後、恩人が最近ご夫婦で毎日行くという鹿野温泉を訪ねた。
恩人が行く蕎麦屋さんはこの「そば道場」とは違うと後で分かったがおそらく麺は同じではとの事。おいらは、かおり蕎麦大盛りを、お嬢さんはおろし蕎麦定食を。足湯に入り、その後鳥取市内に戻りお見舞いとなりました。魚1魚2魚3魚4魚5鹿野鹿野2鹿野3鹿野4鹿5足湯

お粗末過ぎ。

asahi.com:伐採して遊歩道 県庁内で物言い-マイタウン山梨
なんでもカンでもバリアフリーですか?5千万もかかるの?雇用対策?
同じ職場の中ですら意思の疎通がない硬直化したシステム自体をまずはバリアフリーにしてはいかがでしょうかね?
環境NPOに全てを委託した方が安くて良いモノが出来ると思うのはおいらだけか??

鳥取4

砂の美術館のあとは福部のラッキョウ畑を見て、白兎海岸へ。
白兎海岸は寮からバイクで10分位の観光地です。普段泳ぐのは寮のプライベートビーチ(別名北斗海岸)ですが、ビキニのオネーサンなどは絶対いないので夏になると、白兎海岸か浦富海岸まで遠征してました。
そして二十歳の冬の傷心の想い出の地でもあります。
大分道も街の景色も変わっていましたが海は変わっていないようです。

30年前の光景と比べることが意味を持つとは思えませんが自分がそこに居た事実が昨日の様に思い起こされるのは歳のせいでしょう。
若く熱く激しく燃えていた当時を残り火あるいは熾き火として眺めてみるのも人生なのでしょう。

らっきょう白兎白兎2白兎3白兎4白兎5

鳥取3

鳥取と言えば砂丘かな。
大学の学科の新入生歓迎会は毎年砂丘です。
大学の寮があるところも砂の上なんですけどね(笑)

電線などは地中に埋めれば景観的に良いと思うのですが。。。

まあ一度行けばよい程度かな。でも自然と言う文脈では興味ある自然です。

砂丘砂丘2

鳥取2

鳥取空港到着後、鳥取駅近くのホテルのチェックインには早いので荷物を恩人の家に置いて次女と朝食。おいらが来た頃はこんな立派な駅でなくて、正直こんな所まで来てしまったな〜と思ったものです。
大学に受かる気持ちもなかったので、入試前日は大学も見に行かず、駅前のパチンコ屋に入ったのを記憶しています。
入試は鳥取西高であったのですが、入試倍率が20倍近くであったので、とりあえず受けて、どんな所に大学があるかも知らないで帰ってきましたね。
宿泊は甲府で観光会社に勤めていたおばさんが取ってくれた砂丘近くの旅館だったので、砂丘だけは見てきましたが。
そんな訳で合格など夢にも思わず、高校推薦の駿台予備校午前枠を速攻で担任に頼み、新聞奨学生の案内書を手に入れ、とりあえず2期校の農工大を受けたのでありました(科目的に不可能なのとさらに倍率と偏差値が高かった、でも女子が多く行きたかったな〜〜)
この辺の話は延々とあるので、省略。

その後、面会まで時間があるのでドライブ。砂丘で当日からちょうど始まった砂の美術館へ。
GW初日なのに、、、、空いてました(笑)駅砂砂2砂3砂4砂5砂6砂7砂8

鳥取

a1c5383e.JPG土曜日の一便(6時50分)で久しぶりに鳥取へ。
人生の恩師のお見舞いです。
大学時代、酒の飲み方を教えてもらいました。それも全部奢りで。
飲み屋さんのバイトが終わると12時からハシゴです。高校時代まで食った事の無い様な旨い魚やお酒を飲み屋のオネーサンではなくニキビ面の大学生を連れて飲み歩き寮までのタクシー代まで出してくれました。
いったいどれほど掛かったんだろう、おそらく数百万はオイラだけで飲み食いしています。
車を買うときも保証人になってもらい、卒業後上京後もたまに東京に来られた時は高級な店でご家族と共に飯を食わせてもらいました。
決してつけ払いせず現金で払う人でした。
朝5時くらいまで飲んでも8時から診療をする人でした。
一度社会人になった後に鳥取で払いは全部俺がすると言って飲み歩いた事があります。お店の人も気を利かせてかなり安くしてくれたと思います。
それでも3軒位で直ぐに5万円くらい飛んでいった記憶があります。
きっと今入院している病院建設が出来る位はもう飲食街に使った事でしょう。
早く良くなってまた飲み歩きたいものです。

青春の想い出は続く 

青春の時

03bfb9eb.JPG土日は鳥取にいた。
変化し、また昔のままの姿もあり。
時間の蓄積だけが歴史を進める。

25年前の落書きが昨日書かれた様に壁に大きく残る。
そこに立ち尽くし鼓動がはじけ、30年前に完全にタイムスリップ。
景色、匂い、たたずまい。

その時、僕は確実に存在していた。
二日間にあまりの多くの記憶が駆け抜けた。

木村英造さんの記事by きっこのブログ

きっこのブログ: ブラックバスの溜め息
普段はタイトルだけの読み流しなのであるが、ブラックバスとあったので読んでみた。木村先生のことを上手く書かれている。若干外来魚に関する記述が木村先生の考え方とは違う様な気もするが、、、 いずれにせよ、メダカ一匹作り出せない人間が自然を管理支配しようとする愚かさをそろそろ真剣に反省した方がよいと思うのである。

青春の海

02961314.jpg久しぶりです。

未だ竿振らず(笑)

db72f6ac.jpgもうすぐ5月ですよね。
しかしですよ、まだ一回も渓流に足を運んでおりません。
そろそろ限界です(笑)
もちろん魚の顔を見れたにこしたことはないのですが、柔らかい森を歩きたいですね。のんびりと。
おにぎりとビール、チキンラーメンとコーヒー。
思いっきり森の空気を肺胞に吸い込んでガス交換したいです。

このまま行くと、メタボも解消せず(ここ10年くらい解消してないな)、デブになるばかりだし。

フライロッドの振り方をまだ覚えているのだろうか。。。。

こんな渓を歩きたい。

若者殺しの時代 堀井憲一郎 講談社現代新書 2006

図書館本
JSさんにご紹介頂きました。感謝。

さて、本書は週刊文春に連載された筆者の記事を時系列的にまとめ、ご自身が書かれているように「バカの壁」的編集作業により作り上げた1冊の時代社会学。
作者は1958年生まれ(小生59年)であるからほぼ同じ時代を生きて来たわけであるが、回想録的な作者の若者時代とはかなり違う生き方をしてきたようで同感できる部分とそうで無い部分が分かれるのはしょうがないだろう。
しかし、時代がまさに日本的資本主義のゴールを既に迎えているにも係らず、だれも試合が終わった事を宣言しない現在と言う捉え方には激しく同意する。また、若者に「逃げろ」とアドバイスする。そして文化にかかわれと。すなわち手に職をであると。正しいと思う。
クリスマスは彼女とシティーホテルにしけ込み、大晦日はTDLで年越し、そんな軽薄な文化を知らず知らずに植えつけられ、ただただ消費者としての役割を演じて来た若者、特に男性。バブル終焉後も同じような世相が続いている。若者はカモになってしまった。
世相を示す当時の雑誌やテレビ番組、視聴率等のデータを処理して若者時代論を展開していく。非常に楽しく?読める。若干、作者の思い入れが強い部分のデータ解釈には?マークも付くし、話がほぼ都会限定なので違和感がないでもない。しかし、このような資料収集とデータ処理から見えてくる世相は大きな間違いはないのであろう。
多くの現代を生きる若者にとっては既に古き良き時代の童話なのかもしれない。そして、逃げる用意を早急にする必要があろう。
だって、この本がが出版された時はまだ年金問題は登場してないですから。爺婆の命は今や若者が払うだろう年金が原資ですから。

画像は年代を象徴する事例だそうです。

若者殺しの時代 (講談社現代新書)
若者殺し

ひとりでは生きられないのも芸のうち 内田樹 文藝春秋 2008

図書館本

非婚・少子化時代に
働くということ
メディアの語り口
グローバル化時代のひずみ
共同体の作法
死と愛をめぐる考察
こんなタイトルでこれまでのブログから編集者が上手に内田視線を組上げている。最近特に思うのは、内田さんの養老化である。もちろん内田さんは養老氏を師匠と仰いでいるし、養老さんも連載を内田氏に任せたりしているので分からんでもないのですが、実にモノの見方が壁の上を歩きながら、でも両サイドの落ちないスタンスなのであります。
言っている事は至極ごもっともなのでありますが、非常に腑に落ちるという読後感があります。
備忘録的に内田語録
おそらくこれは1500年来「中華の属国」として生きてきた日本人のDNAに含まれる種族的マインドなのである。アメリカにもラブリー、中国にもラブリー、韓国にもラブリー、台湾にもラブリー、ロシアにもラブリー。みんなにちょっとずつ愛されるそんな「CanCamな日本」であることが二十一世紀の国際社会を最小のコスト、最低のリスクで生き抜く戦略だということを無意識のうちに日本人は気づき始めているのではないだろうか。いや、ほんとに。
社会活動としては消費しか経験がなく、「努力」ということについては受験と就活しか経験がない若い人にはこの理路がうまく理解できない。(報酬はつねに集団によって共有されるということに対して)
人間は「自己利益の追求を後回しに、共同体全体のパフォーマンスを向上させることに快楽を感じる」能力によって、他の生物を圧倒する「強さ」を獲得した生き物だからである。
子供の語彙の貧困は、その子どもの生活圏でゆきかう言葉の貧困をそのまま映し出している。それはこども自身の責任ではない。日本語がやせているということがすべての問題の底流にある。(メディアすらむずかしい漢字を使わないという文脈で)
I cannot live without you. これは私たちが発することのできるもっとも純度の高い愛の言葉である。私はこのyouの数をどれだけ増やすことができるか、それが共同的に生きる人間の社会的成熟の指標であると思っている。
「あなたがいなければ生きてゆけない」という言葉は「私」の無能や欠乏についての事実認知的言明ではない。そうではなくて、「だからこそ、あなたにはこれからもずっと元気で生きていて欲しい」という、「あなた」の健康と幸福を願う予祝の言葉なのである。

唯一無いのは泥や土の匂いでしょうか。身体性はご自身が武道家でもあるので随所に感じ取れますが、なぜか話が都市ベースで成り立って居る様に思うのであります。

ひとりでは生きられないのも芸のうち

「淀川水系流域委員会」(宮本博司委員長)

企画 森と水の県土へ 第4部「明日への視点」住民協働の河川整備−岐阜新聞 Web
あたりまえの事を当たり前に行なう難しさ。

淀川水系4ダム メモ

asahi.com:淀川水系4ダム「必要なし」 国交省諮問委、答申へ - 社会
ダムありきからダム無しの前提での議論を望みたい。

やり直しの美学あるいは思想

高瀬川のほとり: コイの季節
こんな文章に触れると日本の自然もまだまだ大丈夫かなという楽観的思考に導かれます。机上の理論も大切です、鳥瞰図的視野も必要でしょう、そして虫の眼的視点も必要な事を実は教育的現場特に大学なんかでは習わない事に問題があったのかもしれませんね。欧米的なある種、自然は管理可能な対象だという思想が、本来日本に土着の自然との折り合いの中で「覚悟」をもって共生共死を学問上有意だと考えてしまったのかもしれません。そして今、その西洋思想に疲れ、飽きて、やっと日本の自然の本来の付き合い方に多くの人が気が付いたのかもしれません。

ガーナ

フジテレビ
あいのり、という番組でガーナが出るそうな。見た事ない番組ですが来週あたり見てみますかね。

ニセ科学 まだやるの? 話しかければおいしくなる水学

あっぱれさんま新教授:オフィシャルサイト
すでに解決済みだとばかり思っていたら、まだこんな事やっているんですね。あまりのレベルの低さに愕然。こまったもんです。 下記の本でも読んですこしメディアも勉強して欲しいものです。TV局には科学が分かる人はおらんのか?


水はなんにも知らないよ

限界集落 名前変えたって意味ないと思うけどね。

asahi.com:増田総務相 おわびします-マイタウン山梨
寄りかかり民主主義だとか、お任せ主義、日本的社会主義だとか言われて久しい。中央が悪いのか地方が悪いのかの問題を議論する前に、まず国民一人ひとりが自分の役割を果たしたかを考えたのだろうかと(そういう自分も考えてないので考えたいと思う)。限界集落と呼ばれている地域に住んでいる人が、本当に限界な集落と感じて住民が暗くなり、不愉快に感じているのか?言葉の遊びをしている場合ではないのである。

魂を考える 池田晶子 法蔵社 1999

図書館本(開成町)

購入したいが絶版?(池田さんの本は殆ど絶版にならないのだけれど)。
誰か不要な方譲ってください。

2007年に亡くなられた池田さんの著作を少しづつ年代を遡りながら読んでいる。
14歳からの哲学が2003年であるから、その4年前に出版された書。内容は季刊「仏教」の1996年から99年にかけての連載と書下ろし、他紙への文章そして96年12月「COMMUNICATION」の木村敏、養老孟司との鼎談である。

池田さんの本を読んでいるとガツンガツンと引っかかる。養老先生の読書術は確かこの読んでいて引っかかる本に興味を持つと書かれていたと思う。もちろん、速読で小説や漫画も読まれるのだけれど。もちろん、池田さんの本の内容を全て理解できているとは全く思わないし、おそらく1−2割理解できたかなと思う程度である。決して難解ではないと思うのだが引っかかりが多く付箋紙だらけにいつもなる。
連載中の98年の記事の中にはご自身が既に癌であることを告知されていることを示されているように思える。父親の癌闘病、ナベツネ氏(前立腺癌を告白されいる)との対談の時の話題等々も出てくる。また当時の事件(少年A,オウム、臓器移植法)を魂という視点から思索している。魂を考える(知るのではなく)ために何回か読み込まないと自分自身の中の魂をも理解出来ないということが理解できた素晴らしい本である。

備忘録メモ
便利によって節約された時間を、人はどのように使っているのだろうか。おそらく、することのない時間の空疎、すなわち自分の中身の空疎に耐えられず、人はさらにビジネスへと走っているのではなかろうか。そして、忙しい忙しいと自分に言い訳しつつ、さらなる便利さを求めているのではなかろうか。すると、人は、いったい何のために何をしていることになるのか、これは見事な本末転倒である。p11
節約できた時間の使い方がわからずに持て余し、中略 それなら、薪割り、水汲み、飯炊きで終わる一日の方が、いかほど健康か。便利さの弊害がある。便利さは人を滅ぼす。p14
「皆は食べるために生きているが、僕は生きるために食べている」ソクラテス p17
「便利」ということについて考えてきたが、対する「不便」というのは、便利さを知らなければ出て来ない言葉である。したがって、不便と言う言葉を知った人はすでに不幸だろう。古来より人は、この状態を警戒して、「足るを知る」、すなわち、あるがままを認めることの幸福を説いたのではなかったか。p19
「私探し」というこの言い方が、私は以前からもうひどく気に入らなくて、なぜ気に入らないかというと、<私>をどこに探そうとするその心性の脆弱さのためでなく、そも<私>とは探すべきものだと思っている、その根本的な勘違いのためである。そんなの、探さなくたって、ここにあるじゃないの。p46

魂を考える

民俗学と少年A

池田晶子さんの「魂を考える」を読んでいる。

その中に神戸の事件の事が出てくる。
民俗学の資料には、隣村に鬼が出て子供の首を取って食ったそうだ」などの話は珍しくないという。そのような事は民俗学者は「とても言えない」と。
普通のことを普通に言えないのが、現代という時代の特殊なのだと。

現在起こっている事件や犯罪は果たして現代的なモノとして括ってしまってよいのだろうか?ふとそんな事を考えた。

マザーテレサ 映画 2005公開

図書館DVD

以前、TVで途中から見たものをやっと最初から見ることが出来た。
オリビアハッセーが主演をしているが、ロミオトジュリエットの時とは全く違う女性を実に品格高く演じている。
多くの映像や記録映画がある中で作られた作品だと思うが、マザーテレサの生き様を確実に映し出していると思う。
病気や貧困には国境も宗教も無い、区別差別することなく慈愛を注ぐテレサの姿こそが宗教を超えた人間の姿なのだろう。
キリストを信じ全ての苦しむ人々ために生涯を捧げた人がいた、そして後進も育っていると言う。
争い無き世界、飢えの無い世界は実はほんの少しの努力で可能になるのかもしれないと思った。
テレサがノーベル賞授賞式晩餐会の予算を聞いたり、NYでの会議で出されたミネラルヲーターが3ドルと聞き「これ1本の一人の子供が1年学校に行ける」というシーンなどはまさに印象的であった。

余談だが、テレサが村を作る場面で許可が無いと言う事で一時的にブルドーザーで壁を壊すシーンがあるが、その時のブルドーザーの1台に日真建設(株)とか書かれたいる。おそらくインドに輸出された中古機材なのだろうが、何か意味を込めて作られているようにも思う。エコノミックアニマルの象徴として。


マザー・テレサ デラックス版

コストとロスト

キツネ避けて高速道で事故死、旧道路公団らに5100万賠償命令(読売新聞) - Yahoo!ニュース
有料道路の管理責任という文脈では、しょうがないのかな。。。とも考えるし、後続車の単なる車間距離不保持ではないかとの疑念も残る。運転に関しては、小動物は避けるなと教えられた様にも思う。北海道にしても昨今の地方高速道路は対面交通式が多く非常にストレスが多い。何かあっても逃げ場が無いのである。金を払って時間を買うが、その代償のバランスを考えないといけないのかもしれませんね。そんな事は渋滞に巻き込まれて帰宅した直後に見た、この記事で感じた。

農業と林業

先週某所で内山節さんの話を聞いた。(早川の話もまとめなければ。。。)
なるほどと思ったわけである。

農業は100年続いたとするとほぼ100回の収穫がある。それも確実の収穫が
ほぼ期待されるような。
さて林業は?
植林と言う行為が始まって250年程度だそうだ。
そうすると、今から伐採しようとする木はたかだか3代目。
そして代を重ねるに従い劣化するように思えると。
まさに歴史が浅い業種なのである。

また洞爺丸台風での北海道大雪山の山林の大規模被害での人工造林と天然更新を比較すると、大雪山という地域限定という文脈においても、手を加えなかった天然更新の方が良い森に成っているそうだ。

速水林業の話を聞くのは二回目であったが、「(見て)美しい森が、林業的にも良い森」である。これは、実は見た目だけでなく、鳥の声が聞こえたり、獣の足跡があるような森でもある。
これなどは、まさに「手入れ」の作法である。

一度は泊まってみたい癒しの温泉宿 松田忠徳 PHP新書 2007

図書館本

死ぬまでに一度位は所謂高級温泉旅館に宿泊してみたいと思っている。
著者は日本国内の温泉めぐりを通して本当の温泉とは何かを追求しているようだ。その熱意や思い入れは本書でも明らかである。
本書では「ホンモノ」と「ニセモノ」あるいは「マガイモノ」の著者なりの判断基準を導入している。そしてその見極め方を提示しています。
基本的には自然湧出で源泉掛け流しで高温の場合の加水(水道水でない)まではホンモノの様である。
確かに昨今の温泉偽装(白骨温泉等)から明らかな様に人為的な操作による温泉商売が成り立っていて、利用者側としては注意が必要であろう。
著者は温泉の本質は「還元系」であるという。
ここから少し怪しいと感じた。さらに塩素消毒における危険性としてトリハロメタンや皮膚からの塩素の吸収などの事を書かれている。引用元とされるサイエンスニューズ130号なるものの原著が見つからない(オンラインのニュースマガジンらしい)。
さらに温泉の効果としての免疫機能向上を書かれていますが、これも??。
ご自身も温泉の効用を科学的に証明するのは難しいと書かれているのは結構ですが、ホンモノ温泉がどれほど良いものかを科学的に証明されたの様に書かれるのはいかがなものかと思います。
確かに日本の文化として湯治で多くの人が癒され、病気から回復されたのは間違いのない事実でしょう。
科学で分かっている事と分かっていない事はすっきり分けて温泉を楽しみたいものである。科学は万能ではないのだから。
ちなみに巻末に温泉宿番付が出ているのですが、東の大関に慶雲館、前頭に白根館(山梨はその2旅館のみ)が選出されているのは良い事である。一度は泊まってみたい癒しの温泉宿 (PHP新書 493)

鎌倉まつり

20日にあるそうです。
一度も現場を見た事がないですが。。。

鎌倉・レザンジュ メールマガジン より

流鏑馬は、長さ2町(約218m)の馬場で馬を走らせ、一定間隔
に3的、馬場より左手約5m先、高さ約2m、斜に設けた約55
cm(1尺8寸)角の檜の的を騎乗の射手が射ます。


流鏑馬の歴史は平安時代の実践的な弓術まで遡ります。歴史の移
ろいと共に、安土桃山時代、明治維新、第二次世界大戦と三度の
衰退の後、戦後に復興し、神社の神事や観光の目玉として日光東
照宮、京都下鴨神社、台東区墨田公園など、年間に50以上も行
われています。
流派には、武田流、小笠原流、三浦流の三流派があり、4月の鎌
倉まつりはに武田流司家金子四郎家教一門により執り行われ奉納
されます。武田流は、昭和9年以来射手として奉仕してきた、金
子四郎家教さんが第35代司家を維承し、高度な伝統技術を伝承し
ています。ちなみに、9月の鶴岡八幡宮例大祭に奉納される流鏑
馬は、小笠原流により執り行われます。


静の「静の舞」に始まり、動の「流鏑馬」で締めくくる鎌倉まつ
り、日本の歴史の中で武家が華々しかった頃を偲ぶお祭りに思え
てなりません。
地元では「流鏑馬はいつも雨...」と言う人もいますが、今年の
4月20日(日)、鎌倉の天気予報は今のところ「晴れ時々曇り」、
最高気温は18度と、麗らかな一日になりそうです。
春の一日、寒い冬を抜け、春から夏へ「動」の季節の景気づけに
流鏑馬でも見物にいらしてください。美味しいケーキとお茶をご
用意して、従業員一同お待ちしております。



■鎌倉まつり
− やぶさめ太鼓
  鎌倉・鶴岡八幡宮 境内にて
  平成20年4月20日(日)11:30〜
− 流鏑馬
  鎌倉・鶴岡八幡宮 馬場にて
  平成20年4月20日(日)13:00〜
※お問い合わせは、鎌倉市観光協会
 TEL.0467-23-3050(代) FAX.0467-22-3516

武士ズム~小林よしのりVS堀辺正史~ 小学館 2008

図書館本

小林さんの漫画は殆ど読んでないのだが、活字体には興味を覚える。
今回の本を一言で表わすなら日本人の持っていた「死の美学」あるいは「死の哲学」であろう。
武道が実は相手を殺すだけの「道」でなく、自分の「死」をも含有するモノでありそこから武士道が導きだされて来たと感じる。西洋における騎士道やノブレスオブリージュの考えにも相似性があるのかもしれないが、そこまで小生の教養が無いのが痛い。
自分の様な日本の歴史の流れにも疎い人間は、まさに自ら歴史を学ばなければと中年過ぎて思うのである。
天皇制、靖国、明治維新、尊王攘夷という言葉は知っていてもその言葉から導き出される歴史と社会を見聞きするだけでなく、自ら調べ咀嚼せねばと思う。小林さんも指摘するように、直ぐに右だの左だのと判断する現在社会の危険性は多くの人が感じるところだろう。メディア垂れ流しの情報を鵜呑みにしてのナショナリズム形成の怖さを感じるわけである。小林さん自らが小林信者へ「自ら考える事」を指摘している点も好感が持てる。

武士ズム~小林よしのりVS堀辺正史~

成田は途上国以下だな。

日本の航空防疫は無防備である-日本財団会長 笹川陽平ブログ
VIPのブログに書かれてしまいましたね。そうすると対応が違う事がその後のブログで明らかになります。本件は新型インフルエンザとは関係はないのですが、防疫体制があまりに杜撰であることを知らしめています。本来の水際作戦もアホな医者一人で無に終わります。税関の横柄な態度も以前から外国人から非難されているところです。
日本の空の玄関がこの程度ですからと疑って見てしまうのはへそ曲がりでしょうかね?

笑った!されど。。。

秀逸な変換ミスの年間賞は「馬食い家内が象サイズになった」(産経新聞) - Yahoo!ニュース
PCで文章を書くようになってから、鉛筆などを使う事が本当に少なくなった。そして漢字が書けなくなった。まずい字がさらにまずくなった。そしておそらく記憶能力自体も衰えてきたように思う(年齢要素以外に)。確かにワープロは便利であるが、間違いなく何かを失っている。書いて消す、書き直す文化が消失することは無いのだろうが、タイプライター文化(少ないアルファベット文字数での文化)が日本やアジア文化を飲み込むのだろうか。

国も国だし、地方も地方

道路財源「拡大解釈」、自治体への交付金でハコモノ600件(読売新聞) - Yahoo!ニュース
ズブズブだよね。以前田中真紀子さんが家計簿感覚で財政を考えたらと発言したと思う。賛否両論だとは思うが、男が考える事は所詮、拡大解釈で身勝手なのでしょう。一般財源化の前に本質的議論をしてまず特別会計を変えなきゃ駄目じゃねえ。こんなことはきょうびの中学生でも分かると思うけどね。
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