おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2007年08月

川がキレイになるのは良い事だけれどね

平成18年全国一級河川の水質現況の公表について
まだ詳しく読んでないので、間違えていたら謝るが、、、
この程度の試験を国でやる必要性が分からないです。中学や高校の理科の実験や環境教育の一環で出来るのではないでしょうか?(除く黒部源流、、いや山岳部だったら出来るか?)そうすれば、いかに旧建設省や現国交省が無駄なセメントを使いまくっているか分かるし、川をいじめているかが日本の青少年も理解できます。ついでに野田さんの本でもプレゼントして、昔の日本の川がどんなに素晴らしかったかを理解してもらえれば更に良いですね。

こんな調査が新たなる多目的ダムの免罪符にならないために、しっかり監視していなければいけない国ってどうなんでしょう。。。

仕事を作るためのダムや河口堰は止めましょうよ!その予算は他の事に使いましょうよ。

黒部の峪を歩いた冠松次郎が書いていた、「魚臭い渓である」 そんな渓があった事を僕らは知るすべもない。

卒論代行のご商売

インターネットがかなり一般的になりつつあった90年代後半、すでにアメリカなんかはコピーアンドペーストで卒論を作るという輩がいるとの記事があった記憶がある。
なぜ覚えているかと言えば、「なるほどね〜〜」とある意味、関心したり、バカだな〜〜アメリカ人はと真剣に思ったからだ。

じゃ、日本ではどうかといえば、一番数の多い博士は今もおそらく医学博士であると思うが、助手(今は助教)が実験して論文書いて学位申請しているとのニュースが流れたことが確かありました。(当然金が絡む
多かれ少なかれ、あるんでしょうね。街中で石を投げれば博士に必ず当たりますよ。

さらにこれはご本人から聞いた話ですが、私立医学部の学位審査ですが、
主査に○○円、副査二人にそれぞれ○○円(当然領収書はなし)をお礼に払うそうです。
ちなみにオイラは一円も払ってないけどね(笑)(払える経済状況でなかったし。。。あっ!そん時は結婚して嫁が稼いだいたのかな)

卒論だとか学位だとかの権威がいかに無意味かそろそろ皆分かった方が良いと思うのだけれど。

もちろん、卒論や学位論文がノーベル賞になることもありますけどね。
そのノーベル賞も今では否定されるDDTやロボトミー手術もあることを忘れてはいけませんですよ。

早稲田大学夏季集中公開講座: MAJESTy's BOOT CAMP

先月参加した3日間の午後だけ学生生活のメモ

個人的には最後の講義を担当された小林先生の授業が素晴らしかった。

以下メモ
7月31日
谷藤悦史先生 現代ジャーナリズムの特性と課題

第一世代ジャーナリズム
 宗教改革、印刷技術(グーテンベルグ) 重農主義―――重商主義

第二世代ジャーナリズム 事実・客観主義ジャーナリズムの時代
 19-20世紀初頭
 メディア市場の成立 大量発行 ジャーナリストの成立(専門化)
 客観主義のレトリック  政治的独立、ジャーナリズム活動の論理

第三世代ジャーナリズム
 解釈・批評ジャーナリズムの時代
 権力バランスの変更 新聞――放送
 コミュニケーション技法の洗練化と専門化への進行 (広報、世論調査、広告、マーケティング)
 解釈ジャーナリズムの論理
  ジャーナリストは主張しない。法の番人でもない。分析家である。
   問題点 エンターテイメントとの融合(政治の擬人化、私人化、政治の二元化)
  第3ジャーナリズムの変容
   メディア産業の変容(専門化) 経営と編集の分離
   グローバル化と多チャンネル化(テレビ的手法の拡大)

第四世代ジャーナリズム?
 ポピュリストジャーナリズムの台頭(楽しくなければ。。。、対比、二元化、擬人化)
  議題設定能力の再生(知の再生) 精密ジャーナリズム、調査ジャーナリズムの創造
  速度の政治からの脱却 流れるジャーナリズムから止めるジャーナリズム
    周期の異なるジャーナリズムへ(Sunday ジャーナル紙)


長谷川真理子 先生  科学の営みとは何か?科学の価値、科学と価値
 
 冒頭にパワーポイント等のビジュアル講義は良くない、紙と鉛筆の考える事が重要だと指摘。まったくその通りだと思う。

専門化しすぎることによる蛸壺研究者の誕生
研究倫理
知的探求の価値―――人文系の危機的状況

科学技術が密着した時代(30-40年代)
西洋自然科学がもつ信念 
 自然現象の多くにはパターンがあり原理がる
 人間はその法則や原理を発見することができる。ほんとう?(Prof.長谷川)

 実は自然科学の不自然さやおよそ常識かに反することばかりであることの現実

科学により常識的価値観を変える  知る事――――怖れを忘れる
 キリスト教の価値観を科学はどのように変えていくか?(進化論etc)
 生物進化は認めるが心の進化は認めない(現キリスト教)

科学と価値観
 内在的には価値はない 科学的事実は価値観を導かない ―――見た側の価値観に影響

自然主義の誤謬 「〜である」から「〜べき」を導くこと

技術立国を目指す日本において、科学は止めることができない?(おいら)

瀬川至朗先生(客員教授、毎日論説委員) フィクションとしての脳死 〜日米比較と考察〜

科学ジャーナリストを待つ落とし穴
 取材対象者との同質化 批判機能の喪失
  事例 スペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故
     心臓移植再開に向けての報道合戦
     原発の安全性をめぐる報道  科学ジャーナリストは反省すべき点多い

脳死問題 欧米――日本 
 西洋は心身二元論 人間の心の座は脳
 西洋に追いつくことで進歩する 典型的な啓蒙史観  本当にそうなんだろうか?

多面的考察 
 歴史的、科学的、哲学的、科学社会学的 科学的考察による判定基準に矛盾する例もある(脳死女性の出産、長期の心拍動等)

脳死判定基準(全脳の機能死)に欧米で差 意識の検査できない。

臓器摘出がなければ、脳死を人の死とする行為は不要。
 脳死を人の死とするか否かーー社会の決め事 脳死を認めない事が遅れているわけではない。

ジャーナリストが学ぶべきこと
 取材対象者に左右されない。近視眼的になるな。時代や状況に流されない。
 専門家(取材対象者)と市民(社会)の間を行き来しつつ軸足をしっかり。
 自らの視点を築く上で、科学史、哲学、科学社会学的な考察は重要。

8月1日
西村吉雄先生(元日経エレクトロニクス編集長) 中央研究所の時代から産学連携の時代へ
ナイロン(デュポン社)、トランジスタに代表される会社の中の中央研究所時代(すべてを社内で)からネットワーク時代には成り立たない。
隠して先行者利益から発信して収穫逓増へ--付加価値を他者につけてもらう
自前主義から連携・協力  情報交換の速度とコストの低下

なぜ大学か? 知識が産業的価値の源泉に
産学連携の成功モデル – シリコンバレー  様々な人の交流だけが新たな知を創造し、価値を生む(出合い、交流し、出て行く  この組織は大学だけ)

バイドール法の導入による英米の大学革命 1980年代 日本は遅れること20年

問題点
 企業は勉強する大学生を必要としなかった。(大学入試を終えた学生をすぐ欲しいくらい  大学時代は勉強しないことをわかっている)
 大学院博士課程にまつわる悪循環(企業での待遇、大学院生の意識等)

同じ考え方を持った優秀な人間の集まりは最悪の研究所(異質で多様なものが出会う環境こそが大切)

西村吉雄先生(元日経エレクトロニクス編集長) Web 2.0時代の研究開発モデル
Web 2.0 ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢(梅田望夫)ウエッブ進化論2006
 オープンソース活動 リナックス ---- Wikipedia

Web 2.0の二つの可能性
 ロングテール効果(アマゾン) ちりも積もれば山となる。 クリック広告
 衆知を集めて良質な知に転化する  リナックス ---- Wikipedia
  (みんなの意見)は案外正しい スロウイッキー 2006 角川書店

衆知か衆愚か
 グーグル八分
 名君は必ず乱心する(乱心の殿より衆愚がまし)

Web 2.0のジャーナリズムへの影響
 グーグルニュースのインパクト
 参加型ジャーナリズム(パブリックジャーナリズムか?)
 韓国「オーマイニュース」の日本上陸
 講義型から議論型
 集中型から分散型(多くの人が手分けして情報収集)
 権威付けシステムの再構築が必要 (誰が言った事を信じるのか)

学術情報発信におけるWeb2.0
 ピア(同僚)レビューによる論文審査および発行(閉じた社会)
 医師、法律家、技術者、作家、芸術家といった専門的職業の人々は同業者でない一般の生活者から評価される。
 科学者だけは、科学者共同体内部の同業者だけに向けて成果を発表し、評価を求めてきた。それは「ブレーキのない車」に等しい  村上陽一郎 「科学者とは何か」 1994

社会に開かれた科学へ
 査読無しの論文掲載(悪いものはアクセスされなくなる)
 納税者=社会の誰もが科学技術の利害関係者である。
     科学技術について誰が考え決めるのか?
 媒介の専門化(科学技術コミュニケーター)の養成が急務


若杉なおみ先生 地球規模感染症とその対策(エイズ、新型インフルエンザ)
        人口 リブロダクチブヘルスとジェンダー (時間の都合でなし)

  感染症による世界規模での健康被害に関しての一般論の紹介と現状
 特記事項なし

8月2日(木)
青山聖子先生 科学ライティングの基本

科学を伝える職業は沢山ある

科学技術の特徴
 複雑、難解 高校卒業以降、学ぶ機会がない
  しかし
 生活の中に入り込んでいる
 経済活動にかかせない
 使い方を誤ると命にかかわる
 研究費を負担するのは国民である。

科学が大事は国民の常識、科学技術情報に対する関心は高い
しかし
科学者を身近に感じていない 科学情報はテレビと新聞
だから
科学コミュニケーター要請が急務
 求められている理由 科学が大きな力をもっている 命を脅かす怖れ(核、遺伝子組み換え作物)
 科学にはお金がかかる それに見合った成果が得られるのか? (巨大加速器等)

もっと大事な意味がある
 科学という文化の伝承、発展のため
  科学は積み上げ型の文化である
  科学は新しい「ものの見方」を与える
  生活の仕方、ひいては、意識を変えていく → 科学技術に支えられた社会の健全な発展


大切なのは「科学的なものの見方」の提供
 因果関係
 事実 伝聞、推定、意見の区別 リスクとベネフィット (100%はない)万能ではない

科学文書は学校の作文より簡単
しかし
学校では目的と相手のはっきりした文章の書き方を習っていない(読書感想文)
何のために書くのか 何を伝えたいのかを明確に!

伝わる文章を書くためのポイント
 相手の常識に合わせること(相手がどういう人なのか、想像力を働かせる)
 情報を十分に集めること(なるべく一次情報を集めること、論文、公的発表等)
 構成をよく考えること(いきなり書き始めるのはNG、ストーリーを明確に)
 編集者的視点を(科学コミュニケーションも経済活動の一つ)

小林宏一先生 メディア界におけるモーダルシフトの動向をさぐる
 最近の学生は推薦図書すら読んでこないそうだ。。。そして人間が自然を管理あるいは支配できるという科学技術教をいかに考えるかが重要だと示唆した。
小林先生は「僕は芋の生活は耐えられる」とおっしゃった。
モーダルシフト
 いったん確立されたシステムが、部分的にか全面的にか改変されること

メディア界のモーダルシフトを俯瞰すると
 退潮するプリントメディア、しぶとく生き残るテレビメディア
 テレビを中軸にして醸成されるエンタメ化
 憂慮すべき日本の知的状況
 高度消費社会、あるいは「安楽」への全体主義
 そして
 パンとサーカス(ローマ時代的安楽)の破綻あるいは再政治化の胎動?
 問われる近代化教

放送「市場」をめぐる四者共犯関係
 放送事業者 「安楽への全体主義」の演出
 視聴者   「安楽への全体主義」の享受
 スポンサー 「安楽への全体主義」の増殖
 政策主体  「安楽への全体主義」からの受益 視聴者との間にpolitical Apathy(無関心)
「格差社会」論議のなか、「安楽への全体主義」論の今日的妥当性は?
石垣りんの詩 「儀式」で講義を締めくくられた。

推薦図書として
 L.レッシグ コモンズ 2002
        Free Culture 2004

藤田省三 全体主義の時代経験 1997
内田樹  下流志向 2007  (俺様化する社会が書かれているそうだ)
橋本治 分からないという方法 2001

その他数冊

水になった村 名古屋でもやるよ〜〜〜

ポレポレタイムスのぽれーっとした日常 名古屋上映情報!
日時:10月6日(土)〜
・場所:名古屋シネマテーク  です。
(地下鉄東山線・桜通線の今池駅から歩いて5分)

僕は興行とか分からないのだけれど、東京と同時上映とか出来ないのかな。フィルムって簡単にコピーできないのかも。

いずれにせよ、名古屋周辺の方、宜しくです。
山本素石や天野礼子も通った揖斐川がそこにありました。そして今は無い。

白痴 黒澤明監督 松竹 1951

図書館DVD

原作も読んでない無教養ではありますが、凄いという一言。
生きる上で清らかな心とは何か?
もちろん、清らかさは「濁り」があるから表現されうるのかもしれませんが、本来人間が生まれながらにして持っている「善」は心を育む宇宙なのかもしれません。
主人公の心清らかな青年、そして心閉じた世界から清らかさを取り戻す原節子演じる女。
原節子の時に鬼の形相での女、そして時に天使のような赤子の形相の女、見ていて鳥肌が立った。

最後に久我美子が泣きながら言う「私が白痴なんだ」と。

心の清らかさは偏差値でも貨幣量でもない。人間として、生物として最低限の「善」なのであろう。そしてその善を無くさないように日々考える事が「生」なのだろう。

50年以上前の作品が色褪せる事なく、逆に今の社会への警告にも思えてならない。

Wikipediaの説明

白痴

文教県にはなり得ないのか。。。。

新県立図書館、県民から意見|山梨|地方|Sankei WEB
あんまり興味が無い人が多いなら、作らないのに越したことはないですね。漫画は読んでも文学は読まずなんでしょうか。。。。もちろん漫画も文化ですが(by 養老孟司)漫画や雑誌だけの教養はありえないのではないでしょうか。小生のような貧乏人は図書館で本を借りられる権利を非常に有りがたいと思っているのですが。
ちなみに、最近 宮本常一写真集(全3巻 6万円)を借りることが出来ました。いや〜〜嬉しいのなんの。鎌倉図書館にはありませんでしたが、川崎図書館にあり、最寄の図書館まで運んでくれるのです。神奈川県の図書館システムはこの点は素晴らしい。有料の配送サービスもあるらしい。

ローカルな思想を創る 内山節 大熊孝 鬼頭秀一 木村茂光 榛村純一 人間選書 1998

図書館本

1997年(平成9年)8月 3日間にわたり掛川市で開かれた三人委員会「夏のセミナー」の記録。
内山さんの哲学、大熊さんの河川工学と環境、鬼頭さんの自然保護の源流の概説に木村さんの中世農民の歴史、そして掛川市長の榛村さんの地方自治に関する講演。その後参加者の討論となる。
内山さん 「思想をつくりだした根源にあるものは何か」と問われれば、私は素直に「自然と人間の関係です」と答えます。というのは自分が暮らしている場所に存在する自然とどのような関係をとるのかが、人間の考え方の根本のところにあったからです。
内山さんはよく、ヨーロッパでの自然と人間のかかわりは、人間が支配あるいは管理できる自然が、神―人間―自然界 という文脈で成り立っていると言う。

木村さんは網野史学以上の事は書かれていないように思うが、要するに百姓は農民のみを指し示しておらず、多彩は職業民の集団であり、稲作中心の社会であったと中世を見ると誤る事を指摘する。
大熊さんは、川と人間の関係において、川が人間のためだけに酷使され、収奪されていると指摘し、かって漁猟や舟運や灌漑とともに花咲いた川沿いの文化の消滅をなげく。川から離れた遠くの人々には、水資源や電力の形で確かに恵みが豊富に送り届けられているが、それらの人々はそのことにまったく関知しない生活を送っている。そして川は、まさに分業化された機能を果たすためだけの無機的な装置と化しているのですと綴る。

討論では多くの方が発言している。驚いたのは、足立倫行さんや秋月岩魚さんが結構過激に議論している。また不勉強で知らない名前も多いのだが、おそらく各分野で有名な方が発言されているのだと思う。

内山さんのセミナーでの感想を次のように述べている。
セミナーでの議論を聞いていると、論理でなく「作法」のようなものが語られていました。人間が生きていく「作法」のようなものが、思想という言葉を伴って展開されていく。非常に面白いと思っていたのです。思想というものの軸が変り始めたというような気持ちです。理論で勝負するのではなく、人間の生き方の「作法」で勝負するみたいな。そこに思想をみている。
続編として98年のセミナーの記録としての「市場経済を組み替える」があるそうだ。

ローカルな思想を創る―脱世界思想の方法 (人間選書)

豊かなる山村の歴史

奈良田の七不思議:秘境伝説の“証し”あった! 真相検証 /山梨:MSN毎日インタラクティブ
稲作文化だけで語ることなど不可能な日本の歴史。まだまだ埋もれたワクワクするような話が有るのだと思う。網野さんや宮本さんが訪れていればきっと凄い書が出来ていたのでしょう。もちろんこれから誰かが、忘れられた日本を、現地から編纂してくれるとは思いますが。


知られざる日本―山村の語る歴史世界 (NHKブックス)

からだのままに 南木佳士 文藝春秋 2007

図書館本


2004年から2006年にかけて種々の媒体に発表されたエッセイ。
そんな訳で、初めて読まれる方にはある種繰り返しが多いように感じられるかもしれない。
臨床医師として、文学界新人賞、芥川賞と華々しい流れの中に身をおいた南木さんではあるが、終末医療に携わる中でストレス障害からうつ病へと体調を崩されていく。書くことも読むことも出来ない中で、徐々に、生かされている自分を見つけ出し、医師として、また作家として復帰する。個人的には病気から復帰後の作品に強く惹かれ、己の心の波長に同調する。

いくつかの心に残る言葉。
 五十歳すぎてようやく日本史の勉強を始めている。そもそも日本という国名がいつから用いられるようになったのか。そのあたりを論じる書物を読んでいると、家の前の見慣れた田園風景すら微妙に様相を変えて身に迫ってくる。 p89
 小説を書き始めたのは、医師になって二年目あたりで、人の死を扱うこの仕事のとんでもない「あぶなさ」に気づいたからだった。危険を外部に分散するために書いていたつもりだったが、それは内に向かって毒を凝縮する剣呑な作業でもあった。 p106
 だから若月先生を「農村医学の父」だとか「現代の赤ひげ」と無邪気に称する気にはなれない。しかし、この病院に来なければ、高邁な理想と酷薄な現実が医療現場でどのように折り合いをつけるのか、という、大人としての最低限身につけねばならない教養(生きる知恵)を得られなかったと確信している。 p113
 腕の方は町が主催する鮎釣り大会で準優勝するところまでいった。けれど、いかに鮎釣りに熱中してみても、人は必ず死ぬ、とのあからさまな現実を見つめざるを得ない業の深い仕事は、身の内に悲観ばかりを増殖させ、やがて、生きているのが精一杯の精神状態にまで追いつめられた。 p127
 さびしくもならず、落胆もせずに阿弥陀堂の敷地を出るとき、古木の下になにげなく置かれた等身大の石仏のおだやかな表情に驚かされた。生まれる前からあったはずなのに、何度もこの前を往来していたのに、どうしてこんなにも品のある温顔に気づかなかったのだろう。齢を重ねないと見えてこないものはたしかにありそうで、そういうあたりまえのことが五十も半ばになるまで理解できなかった事実にあきれ、再び驚く。 p133
 いま、亡き祖母にしみじみ感謝したくなるのは、そういう形にあらわれたさまざまな心遣いではなく、質素で平凡で、他人の悪口を言わずに営んでいた静かな暮らしのなかにわたしを置いてくれたことである。  p137
 遺影を抱きながらこれを聞いて、地位や名誉とは無縁の場で最後までみなに慕われた祖母に育てられたことを、腹の底からありがたく思った。 p138
 人は変容する。変容しなければ生き延びられない。四十歳のころは階段を昇ると息を切らしてしたわたしが、奥穂高の山頂で、からだの芯から湧いてくる涙を流しっぱなしにしながら得た実感である。 p155
からだのままに

ひたすら 福井友栄 講談社 2007

本が好きプロジェクトより献本

ノーベル賞受賞者である福井謙一氏(1981年受賞 98年逝去)の妻が書き綴った日記と言うところであろうか。
1925年生まれの著者は当時としては裕福な家庭に育ち、帝国女子理学専門学校(現・東邦大学)で物理化学を修めたという。さらに京大の聴講生として哲学や倫理を学んだ。その才女が福井氏と結婚して暮らした日々である。
夜中に福井氏が起きだし数式を書く、そして「起きなさい、おきなさい」「綺麗だろう?」と問われ、「きれいね」と答える。そして30年後にノーベル賞になる。
考える以外の日常性の不器用さは信じがたいものがあったと吐露している。
福井家は800年近くの歴史ある家らしい、そしてそこのしきたりに従い、自らも教養を身に付けた著者の生きて来た歴史は現代を生きる研究者や研究者とともに生きる家族達はどのように感じるのだろうか?


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書評/サイエンス

水になった村 絶賛上映中です

猛暑お見舞い申し上げます。

そんな猛暑の中、上京される方、あるいは夏休みの方
是非、ご覧になってください。

戦争中、疎開者が来ても食料不足にならなかった徳山村。
そんな村がきっと日本中にあったのでしょう。
そして、今、そんな村が消えていきます。

お盆はお餅なのである

母方の実家14日
いつからあるのか叔父さんも知らない石臼
薪で長男の長男がもち米を蒸かす。
そして長男が杵でつく。
出来上がった餅を女衆がアベカワ餅に。
黒蜜を掛け、手作り味噌の汁とともにいただく。

そこに進歩や発展などと言う文脈はない、ただ、流れるように伝承される行事がある。

本当の餅の味を久々に食す。

臼もちつき









あべかわ

歴史から学ぶことをしないのね。

都区部マンション平均価格が7,000万円突破、バブル時以来の高値に 不動産経済研 住まいのニュース お役立ち情報
日本の格差社会なんて世界のそれに比べれば大したことはないとは思うのですよ。食料を輸入してまで食べ残し、さらに冷蔵庫で腐らせる国ですから。アメリカ的グローバリズムはどうしても貨幣量で富を表わしたいのでしょうね。7000万払って部屋を占有しても、地震がくればただの箱なのに。。。当然こういう高価な(購入者は高価だと思わないでマネーゲームなんでしょうが)買い物をするのですから1週間分の食料備蓄とか簡易トイレだとか、自家発電装置はついているのでしょうね。貧乏人のおいらには到底想像のつかない世界です(笑)ちなみに7000万あればですよ、当然NPO作って、図書館作って、森の人ですよ。でも7000万じゃたりないかな。。。。

渓のランチ

6c3f28d2.JPGやっぱり、これしかないでしょう。

生卵は必須です。(笑)

当然、食後はコーヒー。今回は渡渉がキツイのでアルコールは無し。

金○が冷やされながらの渓歩き、一人、「気持ちい〜」と叫んでおりました。


ちなみに、食料を渓にデポしている上流で洗濯、行水は違反です。

森林と生活に関する世論調査

森林と生活に関する世論調査
ゆっくり読んでみないとです。お盆の間、母方の実家に行き、跡取り(現在教員、51歳)と話をして大いに盛り上がった。徐々に農業を覚え、森の維持方法を学んでいくと言う。山も2haほどある。田もあり畑もある、さらにリンゴも取れる。チェーンソー持って間伐の手伝いにいかねばなるまい。

そして焚き火

今回はかなり歩き回り、テンバに戻ってから流木集めするのも大変だと
思い、朝に少しだけ流木を集めておいて小さな焚き火。

1匹だけ自然の恵みを刺身で頂く。もちろん、刺身を取ったあとは当然イワナ汁にしていただく。同行者が炊き込みご飯を作り、それと一緒に極楽夕食となる。

そして満天の星が降る中で8時前には爆睡眠(笑)
朝は6時前には目が覚める。コーヒーを淹れ、野田さんの文庫本を読む。

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こんな渓

いつもの岩がいつものところに、そしていつもの色の渓

しかす数年前の大雨で奥の山が崩壊して長いこと白濁していた事もある。green

こんなイワナ2

二日目のイワナ、水源が違うとかなり違う。

ka iwana1ka iwana2

こんな魚が遊んでくれる

9427e91b.JPG釣り場へのアクセスが悪いせいか、年々サイズがよくなる(笑)

この自然と魚に感謝。

戻ってきたど〜〜3日間の夏休み

f19c1c58.JPG10日から12日まで岐阜の山におりました。
9日朝8時半いつもの橋に到着 仲間をまつ。
10時最終ゲートから出発 12時テンバ到着

画像はいつもの「出合い」若干水が少ない

それにしても3日間山でも猛暑でございました。

林野庁の調査を信じるの?

asahi.com:森林への期待、「温暖化防止」最多に 内閣府調査 - 暮らし
3日間森の中におりました。水は旨いし空気も美味しい。されど、この調査をした団体自体に問題があるのでは?森林には期待しているが、農水には期待していないと読むのが正しいのかな。

知ることより考えること 池田晶子 新潮社 2006

図書館本

週刊新潮連載のコラム「人間自身」2005、7月〜2006、7月
帯 インターネットなんかいらない。もし本当を知りたいのなら、考えることだ。

似非考える振りをしている自分が恥ずかしく思う。
備忘録メモ
子供は哲学する
 なにしろ、大人の中にだって、考えている人は滅多にいない。誰も何かしらは思っているのだから、自分は「考えている」と思っているが、とんでもない。そんなのはたいてい、文字通り「思っている」だけである。あれこれ思い悩んだり思い煩ったり、そうでなくとも、計画したり検討したり勘案したり、しかしそういうのは、「考える」のとは違うのである。いや私は「考える」の話を、そのように使わないのである。私にとって「考える」とは、「精神が本質を洞察する」という以外の何ものでもない。
人生は暇つぶし
 いかな苦労でも、何もないよりマシである。何をもってしてでも、人生が暇だということを忘れたい。だから、人生に絶望するということすらも、じつは人生の暇つぶしなのである。絶望しているぶんには、人生は何ほどかのものであり得るからだ。
探すのをやめよ
 若者は型にはめるべきである。「自分さがし」という不毛を封じるために、彼らには型が必要なのだ。元服の儀式がその典型である。今さらそんなことを言えないから、禅寺にでも放り込むか。
見たいもの見えるもの
 先日、養老孟司氏と対談した時、「誤解して割を食うのはその人だ」と言っていた。完全に真理を掴んだ人の言葉である。「だから人を見る眼が大事だ」とも。それくらいの人になると、そうは言っても、見方はどうも同じようだ。
お金を稼ぐという子供
 子供向けの投資教育セミナーも大盛況で、参加した子供が言うには、「お金持ちになりたい。貯金が五十万になったらデイトレードを始め、一億円稼ぎたい」端的に私は、死にたいと感じた。この世の中に、これ以上生きていたくない。
 子供に株を教え込んでいる親の言によれば、「お金は生きる上で大切なのに学校では教えてくれない」 馬鹿もほどほどにしなさいよ。生きる上で大切なのはお金ではないと教えることが教育なんでしょうが。
エイジングはおいしいぞ
 ゆえに、老いることの拒否とは、人生を生きることそのものの拒否である。若さをのみ人生の価値とし、老いを反価値として拒否する人は、人生の価値を得ようとして、じつは人生それ自体の価値を、まるごと失っているのである。
選挙だってさ
 しかしとくに近代国家の形成以後、人は、人生そのものを政治に委ねるという転倒を起こしてはいないか。何のためのよりよい生活なのかを忘れていはしないか。やっぱり自分が賢くなる方が先なのである。
学力いらない
 言うところの「学識経験者」という人の中に、賢い人がいたためしがない。学力なんて、しょせんそんなものである。それがわかっていて、なお学力教育を推進するなら、国は国民に賢くなられては困るのだ。そうとしか思えない。
株取引知らない
 たぶん、「仕事」を「ビジネス」と言い始めたあたりから、人はおかしくなった。日々の糧を得るために地道に繰り返す仕事、そういう意味合いが、何か浮ついた、人生から遊離したものに変化したのである。
大変な格差社会
 先に私は、「国家の品格」よりも「人間の品格」の方が先ではないかと書いた。人は気づいているだろうか。「品格」の「格」は、「格差」の「格」である。位、クラス、グレードの「格」である。人間の品格には確実に差がある。我々は、本当はそちらの格差こそを問題とすべきなのである。中略 なるほど、その意味で、「格差社会の到来」は当たっているかもしれない。金の多寡などは僅差であるが、品格の格差は雲泥である。あの人は下品格階級の人だ。うんと差別的に人を見るようにしたい。
何用あって宇宙へ
 「何用あって月世界へ」。山本夏彦翁は言った。用もないことを考えるのは、謎を見てしまった人の定めである。だから私は、その意味での科学者のパッションは認めはする。けれども、もう一回りして、やっぱり私もそう言いたい。科学って、馬鹿よね。
あとがき
「知ることより考えること」とは、決して知ることの否定ではありません。考えるとは、本当のことを知るために考える以外であり得ない。しかし、きょうび「知る」とは、外的情報を(できるだけたくさん)取得することだとしか思われていない。取得するばかりで、誰も自ら考えていない。だから世の中こんなふうなのであります。あえて紛らわし
タイトルとなった理由です。小林秀雄の名講演、「信じることと知ること」、参照いただければ幸いです。2006年9月
知ることより考えること

偽装国家 勝谷誠彦 扶桑社新書 2007

図書館本

勝谷さんは、おいらより1こ若い。しかしお持ちの知識と情報量は100倍違う。今回の本は日本にはびこるあらゆる偽装を指摘し、愚民に宣戦布告しているのだと思う。
耐震偽装、単位偽装、リコール偽装、安全偽装等々。偽装繁栄の基は何かというとパチンコとサラ金だと指摘する。さらにサラ金無人ATMが諸悪の根源だと。また変にカタカナに変換して内容を歪めるメディアや政府も非難する。

ノブレス・オブリージュを説明し、真のエリートの必要性を訴える。この辺は養老孟司さん、藤原正彦さんとまったく同じです。利権談合共産主義である現在の偽装国家から実質国家への変革を心から願っているのです。
右からは左だといわれ、左からは右と言われる、絶妙な立ち位置から今後もどんどん評論してもらいたい。勝谷氏の霞ヶ関、アカデミック、そして経済界人脈をフルに生かして。
出来れば無料だったブログをもう一度お願いします。(笑)

偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義

大使館なんかいらない 久家義之 幻冬舎 2001

図書館本


たんなる暴露本。
3箇所の大使館で医務官として勤務した時の不平不満のオンパレード。
根源的な問題に触れているかと思えば、どこの会社でもありそうな人間関係のドロドロ、横領、役得等々。
サウジアラビア、ウイーン、パプアニューギニアと回ったらしいがご自身でも書かれているように、かなりの蓄財をしてご退官のようです。
確かに日本大使館の評判の悪さは色んな国で聞きますが(日本人が日本大使館の対応の悪さを指摘する)、まあ、よくもここまで書きましたという、ある種感動ものでもあるかもしれません。
呆然!ニッポン大使館、という文庫も出されていますが、全く同じ感想です。
佐藤優さんの最近の著作を読んでどう感じるのか是非とも聞いてみたいところである。

大使館なんかいらない

日本たばこ産業株式会社と言えばよいのにね

JT News Release
JTという名前で宣伝しますが、本当の呼称をなぜ使わないのですかね?健康被害を出しながら環境と言われてもね。早いところタバコを止めて自由になったらよいのにね。くれぐれもアジアにタバコを売り込むなんて止めてくださいね。

生物と無生物のあいだ 福岡伸一 講談社現代新書 2007

図書館本

期待はずれの一冊
タイトルから期待し過ぎたのかもしれない。
単なるポスドク研究日記とも取れる。確かに動的平衡の考え方には同調するし科学の今後のあり方への危惧?にも理解できる。

分子生物学に興味のある中高生には面白いかもしれないが、現実にDNAをいじっている人には面白くないだろう。

文章が上手なのだから、実験の説明を通して「生物と無生物のあいだ」にある思想哲学を福岡さんの立ち位地から鳥瞰図的に示して欲しかった。

帯で茂木さんが絶賛しているが、これは、福岡さんがエピローグで書かれているように福岡さんも茂木さん同様に蝶マニアだったからだと思うのは読みすぎでしょうか? もうちょっとしっかりした書評で欲しいかった。生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)

川がき、山がきを育てねば

257570d2.jpg自分の子供をそうできなかった反省もあるのですが。
(結構、キャンプとかに連れていきましたが、おいらが遊んでしまって、子供が自然の楽しさを感じなかったのかも。。。)

朝日夕刊での野田さんの記事。
何気にモンベルの帽子がいいですね〜〜(笑)
社長も喜んでいるでしょう。

貧困の光景 曽野綾子 新潮社 2007

図書館本

新潮45に主に掲載されたもの。
ぶれない人であり、物事の本質も見つめつつ、自分の出来る事をする人だと思う。NGOの代表者(シスターやブラザーを援助する団体)として日本財団の理事長として、世界中への渡航、貧困への援助サポートを通じて実際に現地で見て、触って、感じて、そして考えた文章が綴られる。
メディアからだけの貧困を日本人はどのように捉えているのか、自分の使わなくなった衣類が本当に貧困な民に役に立つのか?
現地の担当者まで確実にお金を運ぶにはどうしたらよいのか?曽野さん自らが飛行機を乗り継ぎ、ジープに揺られ、そしてシスターに届けるのである。その旅費は自費である。
綺麗な水一杯が飲めなくで死んで行く子供、病気や差別で尊厳もなく死んでいく人々が世界中にいる。
かたや、食物を輸入してまで食べ残す国民がいる。年金も大事であろう。されど、もっと人間として大切な事があるのではないかと考える事はさらに大事ではなかろうか。

曽野さんは書く。
ものごとはすべてオールオアーナッシングではない。完璧な政策も人もない。その不完全性をまともに承認できないあらゆる人たちの眼が、供に貧困なのである。

貧困の光景

まだ読んでませんが。。。

小栗康平・内山 節の往復書簡
内山ファンには良いかも。。。
早く読まねばと思いつつ、読んでません。

水はなんにも知らないよ 左巻健男 ディスカバー携書 2007

図書館本(やっと順番が回ってきました)

ニセ科学に立ち向かう左巻先生の本。講義を聞かせていただき、この人は本物だと思い本書を読ませていただいた。また、問題の書「水からの伝言」も当然であるが読んだ(見た?)
普通に考えれば嘘だと分かりそうなのだが、心優しい人々は信じてしまうのだろう。科学で証明されない、あるいは証明出来ない事をあたかも、科学的であるかのように人々に伝えて銭儲けの材料にする人々がいる。
左巻先生らは、その間違いを指摘し、教育現場でそのような間違った科学が蔓延することを防ごうとしている。「水からの伝言」が学校教育の場で使われているという恐怖を肌で感じる事ができる。

また、他の水に関するニセ科学(マイナスイオン、クラスター水、活性化水など)を紹介して注意を促している。そして本書の後半部分では、ミネラルウォーター神話(水道水より美味しい、安全)に関しても正しい科学情報をもとに詳しく説明している。この部分はおそらく多くの人が誤解していた自分に気づくであろう。そしてこの感想を書いている本人も自分の思い込みに赤面である。
水はなんにも知らないよ
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