おやじのぼやき

日々おやじが思う事。。。。。

2007年05月

脱ダム論争 緑のダム

KURAJI Lab. Home Page蔵治先生のHP
まだ全てを読んだ訳ではありませんが、非常に分かりやすく丁寧な説明がされています。特に無料で読めるpdfはお薦めです。どこまで分かっていて、何が科学的に分からないのかが、分かります。もうそろそろ、スーパー林道だの、治水ダム、砂防ダム、多目的ダムも説明責任を果たしてから作るべきでしょう。jsさん教えてくれて有難うございました。

なかなか考えていますね。DS ソフト

一度は読んでおきたい 日本文学100選
これから発売されるソフト。おいらは殆どこの手のゲームはやらない(出来ない)のですが、敵も色々と考えています(笑)1冊あたり30円代ですから。。。これでお気に入りの文章を切り出したり、付箋機能が良ければ買いでしょうか。ってゲーム機は僕は持ってないのに。。家には何台かあるようですが。。。。

一度は読んでおきたい日本文学100選


そういえば、相田みつをのソフトは使ってないな。。。。(笑)

改訂 日本マスコミ『臆病』の構造 ベンジャミン・フルフォード 宝島社 2005

図書館本

内容の詳細はアマゾンの解説を読まれる方が良いと思うが、この著者はいったい日本のマスコミに何を言いたいのか?自分自身が日本のジャーナリズムの中に居るわけで、特に目立ったスクープもないのではないだろうか?
ネット上に流れる情報は、魑魅魍魎としているが、少なくとも国策的に排除できないほどに膨張している。内部告発あり、リークあり。もちろんタブーはあるし、それをオープンしないことの問題はあると思う。しかしながら、庶民の多くはうすうす気が付いている事ではないのか。
一つのテーマを突き詰めて庶民の目に触れさせてもらいたい。そうすれば著者の評価も上がるのであろう。単なるワイドショーのレポーター的大風呂敷と感じるのは自分だけではないようだ。(アマゾンの読者書評)
最近著者は日本国籍を取得したらしい。生活しやすいのだろうね。
増補・改訂 日本マスコミ『臆病』の構造

本当かな?公正中立に出来るのか?

Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 厚労省、年400億円の研究費配分業務を移管へ
よく科学行政などと言う言葉が使われますが、基礎研究などの分野を行政官や爺さん研究者が評価する事は非常に難しい。東大一人勝ちが最近言われていて、地方大学や旧帝大系の大学も非常に厳しい経営を強いられているらしい。これも流れとしては小泉流なのかもしれません、そしてアメリカ的研究戦略だと思います。いかに地方が生き残るかを考える事は大切ですが、いまさら東大一極集中的研究支配はいかがなものかと思うのであります。霞ヶ関もアカデミックも東大出身者が多いからしょうがない? そんな事を続けてはいけないでしょう。

アメリカはでっかいぞう

CNN.co.jp : 体重477キロの巨大イノシシ射止める、11歳少年 ? - サイエンス
こんなでかいイノシシがいるんだ?
5歳から狩猟をしている? 11歳で銃のプロ。。。。どこか違う。。。未だに西部劇でネイティブアメリカンを殺している感覚がよぎります。

在来魚を後世へ 山梨の研究者

良いニュースは本当に嬉しいものです。
それも、若い研究者や若い人たちが係っている仕事は。
もちろん、それを支える組織や上司の理解やサポートがあるのです。

イワナもそうですが、在来のヤマメも残って欲しいですね。
そして、それは釣り人のためではなく、動植物が生きている自然と言う世界のために。

う〜〜〜ん転職したい(笑)

以下 転載

ヤマトイワナ:人工ふ化、県水産技術センターが成果 絶滅の危機、調査で判明 /山梨

 オレンジの斑点が特徴で、国内でもごく一部の地域にしか生息していない「ヤマトイワナ」が、県内の渓流で絶滅の危機にひんしていることを受け、県水産技術センター(甲斐市牛句、芳賀稔所長)は06年からヤマトイワナの系統保存を目的に、人工採卵とふ化に取り組み始めた。イワナを捕獲した直後に採卵し受精させるという工夫をこらし、他県の人工授精と比べて極めて生存率は高いという。【中西啓介】

 ヤマトイワナは富士川(山梨)、木曽川(長野)、大井川(静岡)の源流のごく限られた地域にのみ生息する渓流魚。体長は約23〜25センチで、一般的なイワナのニッコウイワナより小型。黄色みを帯びた体にオレンジ色の斑点があり、釣り人には「幻の魚」と呼ばれている。真夏でも15度以下の水温を好むため、生息域は山間の清流に限られる。

 絶滅の危機にあることは県が96年度に始めた渓流魚を対象とした調査で判明。県内にある多摩川、桂川、富士川の全3水系の河川の支流のうち、渓流魚が生息できるとみられる709本を調査しているが、ヤマトイワナはこの11年間で、28河川でしか見つからなかった。

 同センターによると、生息数の減少には、1970年代から県内でコンクリート製の砂防ダムの建設が急速に進み、清流が少なくなった影響がある。また、釣りを楽しむために漁協などが放流するニッコウイワナに、体の大きさや繁殖力の点で及ばず、生息域を奪われているのも原因の一つとみられる。

  ◇  ◇  ◇

 絶滅を防ごうと同センターは06年10月、県北部の富士川水系の渓流で、産卵期を迎えたヤマトイワナの捕獲と採卵を始めた。電気ショックにより一時的に気絶させたイワナ85匹を捕獲。成熟したメス7匹からその場で1100粒の卵を採取し、オスから採取したばかりの精子と受精させた。

 受精卵は同センターの支所(忍野村)に運び、8度の水で約3カ月管理。98・7%がふ化し、84・9%が餌付けできるまでに成長した。同センターによると、生存率は他県で実施された人工授精に比べても極めて高いといい、「遠く離れた研究機関まで運ばず、捕獲した現場で卵を採取し、受精させたのが成功の理由ではないか」と推測している。

  ◇  ◇  ◇

 今回生まれた稚魚は成魚となるまでの約3年間、同村で育てる。その後は水族館などに展示用に配るほか、かつて生息していた県内の渓流に放流したい考えだ。

 同センターは今年10月には、第2回目の人工採卵を予定しており、今回は1万粒以上の卵の採取を目標にしている。また、採卵を控えた魚が河川を遡上(そじょう)するための道を設置した「透過型堰(えん)堤」の整備も県の河川砂防担当者とともに進める。生息調査も拡大して継続し、効果を測定したい考え。同センターの坪井潤一研究員(28)は「地道な研究を通じ、効率的な採卵や飼育方法の確立を目指し、ヤマトイワナを本来の生息域に帰したい」と話している。

毎日新聞 2007年5月27日

食のクオリア 茂木健一郎 青土社 2006 続き

備忘録として

料理人の無記
言葉にならない味わいを何とかして精緻に表現しようとするのも人間の立派な文化であるし、私に新イカを食べさせてくれた寿司職人のように無記を貫くのも、また一つの立派な態度であろう。 おいしさは言葉で表せるのか否か。この一見他愛のない質問の裏に、人間の行き方における案外重要な問題が見え隠れするのである。
グローバリズムと脳内快楽主義
お金を払って高級レストランに行くのもいいが、森の木々を見ながらほんのりと塩からいおにぎりを食べるのもよい。グローバリズムへのオンとオフが、同時に、脳内の進化の痕跡のオフとオンにつながり、脳内快楽物質を分泌させるのである。
旅することで出会うスローフード
郷に入れば、郷に従うのが良い。その土地の食材だけしか食べないというのは、不自由なようだが、その歓びは深い。考えてみれば、不自由さこそ、人間の生きる歓びの根幹である。自分の身体が気に入らないからといって、交換するわけにはいかない。身体を交換する代わりに私たちは旅をする。旅をすることで、その土地に包まれる。そして、大地に包み込まれるという儀式は、その土地のスローフードの恵みを味わうことで、初めて完結するのである。
ダ・ビンチの「最後の晩餐」
なぜ最後の晩餐なのだろう、とミラノの街を歩きながら考えた。中略 キリストの生涯の最後を飾るドラマは、なぜ食卓で起こらなければならなかったのか?ここには、「食」ということの根源的な意味が隠されていそうだ。
「マスター星が綺麗だね」
茂木さんと養老先生の出会いは、なんと1997年の「脳とクオリア」を養老先生が書評したことからなのだそうだ。僕はてっきり在学中からの知り合いだと思っていました。
この文章の中で養老先生の逸話として、湯島のバー「エスト」でのマスタと茂木さんとの会話。
「ええ、養老先生よくいらしてましたよ」
「あの頃は良くお飲みになって。ある時、ふいっと姿が見えなくなったから、あれ、と思って店の外に出てみると、養老先生前の道の上に大の字になって寝ていらっしゃいましてね。養老先生、どうされました、とお聞きすると、先生は「いやあ、マスター、星がきれいだねえ」とおっしゃられました。」
私(茂木)はそれを聞いて、大切な人生の宝物を一つもらった気になった。
縄文から宇宙食まで
食は、今後もポップに進化していくだろうが、その基底には縄文時代と変わらない自然の営み、他の生命の尊い犠牲があることを忘れないでいたい。この世に神がいたとしても、そう簡単にはマナを降らせてはくれないのだと、肝に銘じなくてはいけない。それに、何といっても、自然の中で塩味の利いたおにぎりを味わうのに勝る人工的食環境は、そうはありはしない。文明も心地よいが、時には自然の中に戻って、今は遠き縄文時代に思いを馳せよう。 マナ:モーゼの祈りに応じて神が天から降らせた食べ物。

贅沢の象徴としてのたき火
たき火は私たちが失ってしまったものの象徴であり、食べ物が単なる栄養物にとどまらず、私たちの魂の成分を変えてすまうような形而上学上のマテリアルであることを、もう一度思い起こさせてくれる縁(よすが)なのである。
都会人よ、文明を発達させてしまったことで自らに閉ざされてしまった快楽の数々を思い、戦慄せよ!

予約中の本やビデオ

米原万里さんの本はヤフオクで探した方が良さそうです。1年くらい待たないといけないかも。。。

それにしても、ITのおかげで本を沢山読めるようになったのは、ありがたいことです。鎌倉図書館は本当に偉い!

ちなみに鎌倉は堆肥も無料でくれます(庭木などを堆肥化しているんです)。

1 ゲロッパ! 井筒和幸 4番目
2 鏡の法則 人生のどんな問題も解決する魔法 野口嘉則 6番目
3 打ちのめされるようなすごい本 米原万里 84番目
4 自分は死なないと思っているヒトへ 知の毒 (だいわ文庫 32− 養老孟司 2番目
5 人生の疑問に答えます 養老孟司 7番目
6 14歳の君へ どう考えどう生きるか 池田晶子 4番目
7 知ることより考えること 池田晶子 3番目
8 勝っても負けても 41歳からの哲学 池田晶子 2番目
9 からだのままに 南木佳士 7番目
10 官僚とメディア (角川oneテーマ2 魚住昭 1番目
11 感動する脳 茂木健一郎 3番目
12 プロフェッショナル仕事の流儀 1 茂木健一郎 2番目
13 無我と無私 禅の考え方に学ぶ オイゲン・ヘリゲル 1番目
14 禅の道 (講談社学術文庫 9 オイゲン・ヘリゲル 1番目
15 脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるよ 池谷裕二 6番目
16 世界屠畜紀行 内澤旬子 8番目
17 神様がくれた涙 飯島夏樹 1番目
18 貧困の光景 曽野綾子 11番目
19 日本人が知らない世界の歩き方 (PHP新書 424 曾野綾子 1番目

生態系を考える、外来鳥

asahi.com:給餌の姿を撮った-マイタウン山梨
魚と違い、行動半径を広げるのは早いのだろう。山梨の早川町まで侵入しているとの事。人間の勝手で輸入され、逃げたり、放された結果が原因だろう。これまでの住んでいた鳥達の生態系が崩れるのだろう。人間とは、、、、 自己批判しなければいけないと思う。自分も子供の頃、セキセイインコや子桜インコを飼っていた。その時はただ、可愛いとか、増やして小遣いの足しにしようと考えていただけだった。その後、インコの野生化が報じられ問題となっていることをしった。子桜インコの「まーく」は自分でカゴの入り口は空けて何度が脱走した。そして何度目の脱走で居なくなってしまった。自分の責任である。

これぞ粋な男なのだと思う

5b7467cf.jpg白洲次郎の遺書

次郎と正子 牧山桂子  新潮社 2007


副題:娘が語る素顔の白洲家

白洲次郎という今や伝説の人であるかもしれない外交家、政治家、実業家を内から見た「父親」かつ「男」として末っ子であり長女の桂子(かつらこ)が綴る。
はたから見れば、まさに華麗なる一族であり、住む世界が違うのだけれど、実は何処にでもありそうな家庭がある。そこにまた白洲次郎と言う、「従順ならざる唯一の日本人サムライ」が見えてくる。
筋を通す、ブレない思想、権威に動じない。遺言の「葬式無用 戒名不用」は有名である。

白洲家と樺山家という名家同士、次郎と正子の結婚は必然だったのであろう。喧嘩が絶えないと言いながら、楽しい会話があり、自由に生きる家族。料理をしない(出来ない)、けれども文学賞を受賞したり骨董分野での才能は多くの人に認められる母、正子。
もちろん、次郎の功績は知らない人はいないであろう。マッカーサーと対等に向かい合い正論を通す、まさにサムライとしてのエリートであろう。

そんな、庶民から見れば雲の上の様な夫婦を、娘が観察すると、別の視点と評価があるのが面白い。また、政治家、学者、有名人との付き合いの逸話なども興味深い。
そこには、普通に近所に居るおじさんに近い次郎であり、子供のような性格の正子である。

ネタばれになるので、詳細には書かないが
吉田茂首相(吉田のおじいさん)が大磯の樺山愛輔が亡くなった際の弔問の折、戸塚の開かずの踏み切りが開いているか閉じているかで同乗していた桂子と賭けをしてわざと負けたエピソード。
火が好きな次郎: 桂子が子どもの頃、夕方になると、暖炉の籐椅子に陣取り、お酒のグラスを片手に、薪をくべながら、じっと燃えている火を見ているのが常でした。
父は亡くなる数年前、大きな古い鞄を持ち出して大好きな焼却炉の前に陣取り、鞄から次々に書類のような紙を取り出し燃やし始めました。何を燃やしているのか尋ねると、「こういうものは、墓場に持っていくもんなのさ」と言い、煙突から立ち上る煙をじっと見上げて何かを想っているようでした。
機先を制する:次郎が生涯で、何度も機先を制することが出来たのは母国語でない英語と同時に勉強して覚えた日本語だと書いています。
大工作業好きな次郎:竹製の靴べら、調理用のへらや桂子のための机なども作ったそうです。
美人のおかみさんが居る有名な蕎麦屋:次郎の靴のひもがほどけていました。それに気が付いたおかみさんが身を屈め、結んでくれようとすると次郎は、「まだ君の番は回って来ないけどまあいいか」と言ったそうです。
ゴルフクラブ:次郎が軽井沢ゴルフクラブの理事長を勤めていた頃、夏しかゴルフが出来ない軽井沢のコースの年会費が高いと文句を言った人に「昔から本宅より別宅の方が金がかかるに決まっている」と言って、すましてしたそうです。
テレビの野球中継が大好きな正子、次郎に笛を吹かせ、自分も太鼓を叩き応援した。
桂子の結婚に次郎は反対であったようですが、牧山氏が白洲家に挨拶に来た折、次郎はいつものように暖炉の前に座り、時折薪をくべていました。緊張に顔を強ばらせた牧山氏が、桂子と結婚させて欲しいと言うと、次郎は、自分は子供の結婚には一切口を出さない、皆好きにさせる主義だと答え、彼の方を見ようともしなかったそうです。

小林秀雄が名づけ親:小林が自分に男の子が出来たら名づけようと思っていた、龍太。しかし娘が生まれる。その娘が白洲次郎の次男と結婚して男の子の孫が生まれた、しかし白洲という苗字と龍と言う字が合わないということで牧山家にその名前が転がり込んできた。


次郎の死後、正子が入院した折、多田富雄が見舞いに訪れ、桂子に「老人の寝たきりの始まりは、まず、朝、身なりを整えないことに端を発する」とおっしゃいました。

そして最後に桂子が締めくくる。
父はただただ不器用に私たちを愛してくれたのだと思います。父に申し訳ないのですが、今思いつける、父に教わったことといえば、日本人によくある西洋人を恐れるという気持ちがない、ということぐらいです。 ただし、親が自分たちの子供の将来に理想を描くのは当然のことですが、言葉に出してああせいこうせいと言っても無意味なように思います。中略。私が曲りなりにも、世間様にあまり迷惑をかけずに生活していけるのも、結局両親のおかげだと、思わざるを得ません。



次郎と正子―娘が語る素顔の白洲家
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livedoor BOOKS
書評/歴史・記録(NF)

食のクオリア 茂木健一郎 青土社 2006

図書館本

財団法人塩事業センターのwebマガジンenでの連載をまとめたもの。
記憶が曖昧であるけれど、宮本常一さんも、塩の業界?のお仕事を以前されていたように思う。塩と言う人間に欠かせない食料の一品としての民俗学であります。
茂木さんもまた、この本の中でクオリア(質感、感覚質)を通して塩を始めとるし、食材、料理、調理、絵画の中での食などあらゆる分野に及ぶ「食」を時に脳科学として、また時として歴史芸術の文脈で解き明かしています。また「贅沢の象徴としての焚き火」なんて文章に触れると、良くぞ書いてくれたなんと思ってしまいます。

続く(笑)

食のクオリア

死者に鞭打ってはいけないが

政治を司る人が自ら命を絶つ。
そこに庶民は何を見るのか?

庶民が触れる事の出来ない滓が厚く厚く沈殿しているのだろうか?

わからない。

追記
石原都知事が 松岡氏を「侍」とインタビューで述べていたと思うが
それは明らかに間違いである。
あまりにも「侍」を侮辱しているし、武士道でもなんでもないし、自死を潔いものとすることはありえない。

お役所仕事なんですよね。

asahi.com:都心近いのに…低迷-マイタウン山梨
風林火山のようなビックイベントに力を借りればなんとかなると思っているお役人なのでしょう。最後のこのコメントが振るっています。
本当に仕事してるんでしょうか???
県観光振興課の担当者は、「そんなにアクセス数が少ないとは知らなかった」と言う。移住者や観光客を増やすため、市町村に魅力ある街づくりを呼びかけている。そして「都心に近いというメリットがある。今後はサイトなどを積極的に利用して、知名度の向上につなげていきたい」と話している。

白洲次郎 正子

今白洲次郎、正子さんのご子息が書かれた本を読んでいるのですが、吉田茂の懐刀と言われた白洲次郎の父親としての生き方が面白い。

それにしても、系図的には凄いな〜やはり。

半農半Xという生き方 塩見直紀 ソニーマガジン 2003

図書館本

1965年生まれの塩見さんが、提唱している生き方。
半分を農作業的自給を目指し、残りの半分は自分の得意なこと、あるいは好きな事をする。それをエックス(X)
京都の綾部での実践を踏まえて、同様な生活形態を取る方(綾部は多いらしい)を紹介しつつ、また地元の老人との交流などを通じて、より心豊かな生活をしようとする試みと解釈した。
特に新興宗教的なところもなく、出来る事をやっていくという力みのないところが良いと思います。
おそらく場所的にも辺鄙でなく、また農をしやすい場所であることも事実なのでしょう。
あえて言えば、横文字が多いところが引っかかります。所謂キーワードが多いように思います。
もちろん、塩見さん自身がかなりの読書家で豊富な知識の持ち主だと言う事は理解出来ますが、もう少し、和風でもよいかなと感じました。
おそらく、あえてこの様な文章にしたのかもしれませんが。

いずれにしても、自分なりのXを持つ事が楽しい人生の道のりになる事は間違いありません。晴耕雨読でも食べる事が出来れば良い訳です。
内山節さん的には食べるための「稼ぎ」と社会のための「仕事」と言う労働と自然から得られる「食」のための半農。
そして出来る限り「仕事」に近く楽しいXを見つける事でしょうか。
里山ねっと あやべを運営しています。


半農半Xという生き方

手打ち?うどん

7028b3ea.JPG土曜日の昼

ホームベーカリーの機械でうどん粉をこねる(手でやるのが面倒)
先日かった製麺機で麺を切り出す

10分ほど茹でる

庭のネギと特製いただきもの柚子胡椒でいただく。

幸せでございました。。(笑)

The Pianist  ロマン プランスキー監督 2003

図書館ビデオ

邦題:戦場のピアニスト 

邦題に違和感があるが、興行だからしかたないとしましょう。

内容は多くのところで書かれていますので感想だけ。

戦争と言う無意味さ、人が人を支配すると言う無意味さ、民俗浄化という人間の行為の無意味さ、ありとあらゆる不条理を戦争に見ることが出来ます。音楽や芸術には国境がないと言われています。国境と言う人間が自然に反して引いた記号の中や外で殺し合いが行なわれています。それを映像として画面で見せてくれます。しかし、血液の匂い、死臭、魂の叫び声はスクリーンからは得られません。今もイラクやパレスチナで同じ光景が繰り返されていることを映像の鏡像としてしっかり認識しなければいけないと思いました。そしてこの作品が、戦争と言う無意味な行為を未来へも伝えてくれることを信じたいと思います。


戦場のピアニスト

養老さん茂木さん

茂木さんは養老さんを師匠と言う。

養老先生は著作の中で、一昔前は人生50年だとよく書かれている。
茂木さんは講演などで、さかんに忙しい自分を披露している。

そうなんだと、合点がいった。
養老先生は東大を定年前に辞めて、人生50年の後の余禄として生きている。それも非常に自由に。

茂木さんは、おそらく50年を一つのゴールとして走っている。そして、その後の余禄をすでに構想しているのだと思う。
芸術、音楽、文学そして脳科学 この総合知を統合して何を生み出してくれるのだろう? あるいは破滅に向かうのか?

知りすぎること、無知であること。どちらが良いのか分からないのだが。。。

つらい現実

日本の原風景:ひとりごと(NO3) - livedoor Blog(ブログ)
人的被害はあったが、誤解を恐れずに言えば、ほぼ無しに近かったと思う。けれども、生活の場である家が未だこの状態である現実を見てしまうと、つらいという感情と供に自然という現実もまた事実として受け入れないといけないのかなと思ってしまう。ここにも上流域の文化がある。そして民俗がある。山古志をサポートできないような日本であれば、それは下流域の文化は死んだと判断せざるを得ないのだろうな。

大規模農業の可能性?

モデルに2法人1団体 県の大規模農業選定
国や県の施策を100%信じている農家や林業家はいないと思うのだが、したたかに対応して欲しい。JAの言いなりになって借金してまで機械を買うようなことのないように。民間と県を天秤にかけるくらいのしたたかさが必要だと思います。ワタミだってパソナだって農業しているんですから。

子供は自然

養老孟司さんも、自然農法の福岡さんも、子供は自然だとおっしゃっている。また養老さんは、教育には強制が伴うと指摘する。
多くの国(ほとんどでは?)は義務教育制度が存在する。
この事は国としてお金をかけて子供(=自然)を育てないと国の未来はないと言うことだろう。
西洋的なもの全ての導入を良いとは思わないが、製鉄にしても製糸にしても、日本は当初国営と言う形態をとり、予算を入れていた。そして、民営に移行した。もちろん、たたら製鉄のような形態も存在し、古くからあったわけだが、経済と言う世界の土俵での勝負のために国費を入れた事を非難するものは現在では少ないと思う。

製鉄、製糸と言う業界は自然との係りで言えば、希薄な関係であり、天候や季節に左右されることは無いに等しいのではないだろうか。

では、農業は?
いくら品種改良しようが、天候次第で作柄は変わり、化石燃料を使う人工栽培をすれば価格は上昇し、競争経済の中では生き残るのは難しいのではないか。だから、先進国ですら、保護貿易政策を取らざるを得ない。
わが国においては、今後、農地の法人化や特区が増えて補助金政策の転換が図られるのかもしれないが、果たしてそれが良いのか悪いのか小生には難しい問題である。
さらに、林業を含む森と言う文脈ではどうなのだろう?材や木質バイオマスと言う年単位(多くの場合10年単位)アウトプットを、さらには地域性が大きく異なる分野において、たやすく法人化や民営化は出来そうにないと素人は考えてしまう。
森と言う自然が未来にも必要だと考えるのであれば、出来る限り効率的に国が関与せざるを得ないのだろう。もちろん、民間として十分に管理運営できるのであれば、それは素晴らしいことであり、現に伊勢神宮の遷宮のための森は長期にわたり維持されているわけだから(国の補助があるのかもしれませんが。昔は木曽に森があったが今は国有林)。
さらに素人考えでは、小規模林業であれば、間伐材の利用は地元材を使った木材建築の普及があっても良いのではないかと思う。セメントや鉄の文化もある意味、経済成長の指標かもしれないが、木材文化をG8で語れるのは日本ぐらいじゃないのだろうか。

ふ〜〜息切れ。(笑)

第一回岐阜釣行先発調査隊

18日(金)夜 現地ベースキャンプ(コンビニ駐車場)に到着。
当然であるのだが、その前に荒神の湯で一風呂。
ベースキャンプでは雨のため、車内でビールを美味しくいただく。
チュンさんも到着するが、雨。
19日(土)朝、濁りは無いが増水、徐々に増水の割合も増してくる。
協議の結果、勇気ある撤退を決め、別の渓に向かう。これで3時間の歩きはなくなった訳で緊張がなくなる(笑)
そんな訳でまた荒神の湯(笑)その前を流れる蒲田川は濁流。

気温も下がり、某所で竿を出すが、ニンフで1匹ばらして終了となる。
チュンさんと再会を約束し、韮崎の家に向かう。

日曜日は朝一で帰鎌で、内山節さんの話を聞くために早稲田に向かった(既述)上1上2








荒神

いよいよ九州本丸ですね!

asahi.com:農地・森林事業でも官製談合か 九州整備局など捜索 - 社会
なんとか還元水大臣の地元、そして林野の出身、ちなみにおいらの大学の先輩らしい(科は違いますよ、僕は獣医で、彼は林科です)。全部膿を出しましょうよ。そして日本の森も林業も出直しましょう。

木の文化を守る人々

正倉院、高野山…宝守り半世紀 : 読売あをによし賞 : 文化 伝統 : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
緑資源なんとかの皆さんも、すこしは爪の垢を煎じて飲ませてもらった方が良いと思います。現世の銭でない、未来の人たちのために。

速水林業代表 速水 亨さんの考え方

熊野古道と高速道路の「共生」 : 風向計 : 中部経済 : 中部発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
日本の林業界でのキーパーソンの一人ではあることは間違いない。おいらにはまだ判断が付かないのだが、真摯な人であるとは思う。どこかのアホ大臣とは顔から漂う品格が違う。何本かの記事があるのでご興味のある方はこちらをどうぞ

森はだれのものか? アジアの森と人の未来

いただきもの本

森はだれのものか? アジアの森と人の未来
日高敏隆、秋道智彌 編 昭和堂 2007  2300円


帯: 森の生き物、先住民、政府、企業、NGO・・・・・開発、破壊、保全をめぐる議論が飛び交うなか だれが主人公なのか?

最近、森や林業に関する書籍の出版が多いように感じるのは小生だけだろうか?日本の森の荒廃が盛んにメディアに流れ、里山保全や林業再生などが叫ばれているのではないだろうか。林野庁は多額の赤字を抱え、新生産システムという施策を進めようとしているようだ。(天野礼子 “林業再生”最後の挑戦―「新生産システム」で未来を拓く 2006)また森林ジャーナリストの田中淳夫氏なども盛んに森の危機的状況を憂いその再生方法を模索している。(だれが日本の「森」を殺すのか 2005、里山再生 2003) 作家の立松和平さんは日本の木造文化における林業の役割を綴っている。(日本の歴史を作った森 2006)
本書は2006年京都にある地球研の第5回地球研フォーラムとして開催されたシンポジウムを基にまとめられたものである。

自分自身は以前菅 豊 (著) 「川は誰のものか―人と環境の民俗学」(2005)に触れ、非常に感銘を受けた。菅さんは20年にわたり新潟県山北町の大川をフィー ルドにして調査されサケが遡上する川とその流域の人々とサケを通しての歴史、文化等時代背景を織り交ぜて説明している。サケという金を生む魚を地域 住民の共有物と捉え規則を作り入札制度等を整へる。さらに上流と下流域の不公平が出ないような枠組み(下流での流し網の禁止)を住民が作っていく。さらに 採取方法も「コド」と言う独特な方法を編み出し今日まで引き継がれていく。各時代の政治や経済の動きに混乱もあるが、公益と言う思想が導入され、さらに資源保全等の考え方が加味される。そして最近では「たのしみ」が加わりサケ漁が地域内での交流に重要な役割を果たしてくる、と述べている。 この本の影響を受け、森にも興味があるので、本書に期待したわけである。しかし結論から言えば、消化不良な自分がいる。

序章で、討論のねらいは森を所有する人間や支配者がだれであるのかを議論することではない。森を利用するうえで、どのような自然観や支配の論理、あるいは経済の力が働いているのか、森を管理していくためにはどのような思想と方策が有効なのかを洗い出すことに眼目をおいた。そこから森林を利用する人間が踏まえるべき「ものの見方」を探ることが、未来の地球環境へつながると考えた。と書かれている。それぞれの研究者が各章を担当して話を進める。
序章  森と人の生態史
第1章 森の一万年史から
第2章 ボルネオ・イバン人の「里山」利用の変化と日本とのかかわり
第3章 ボルネオ熱帯雨林ランビルの林冠でみたこと
第4章 だれのための森か
第5章 「協治」の思想で森とかかわる
第6章 世界の森の現状からみた地球未来

本書は読者の立ち位置で大分評価が異なるのだと思う。入会とかコモンズと言った文脈から読むならば1、2,4,5,6章が興味深く特に4章が良い。
熱帯雨林の多様性と言う文脈であれば3章は科学的データを示しているが、本書のタイトルとの刷り合わせが良く分からない。
内容的にはアジアがメインであり(一部アフリカの例などもあるが、また森林所有の様態として第4章に若干世界の資料がある)、残念ながら日本の現状分析はほぼ無いに等しい。
日本の森、里山、奥山という歴史的資料としては1章が包括的である。しかし日本の森林の問題点、特に戦後の国の施策と現状認識、林道開発と環境破壊等に視点を当ててはおらず、さらにアカデミック(林学分野)と施策が日本の林業や環境行政に与えた影響などの討論はなされていない。過去の失敗に基づく考察が行わなければいくら流行りのキーワードや科学データを積み重ねても日本の森の未来は明るいとは言えないと感じた。序章で書かれた「森を管理していくためにはどのような思想と方策が有効なのかを洗い出すことに眼目をおいた」とあったがどの程度洗い出されているのか?また管理することを前提にして良いのか?考えてしまう。

おそらく、すでに森の現場では常識的に運用されているのであろうが、かかわり主義と言う言葉は面白いと思う。
かかわり主義(principle of involvement)と言う議論の対象となっている資源や環境へのかかわりの深さに応じて発言権を認めようという理念。地域住民の権利の保護とともに、良心的な外部者の関与を正当化するもととなる。とある。

蛇足であるが、本書が広く一般の方の目に触れるためには、やはり価格も考慮しなければいけないように思う。とかくこのような書籍は高いという常識だが、良く考えれば、本書の基になるデータの殆ど全てが国の補助金(文科省の研究費等)で得られていて、広く公開されるべき内容であるのだから。(ホームページで公開しても良いと思うのだが。。。)
森はだれのものか?―アジアの森と人の未来

死刑廃止論展開のための弁護団なのか??

asahi.com:少年への死刑の適用争点 差し戻し審始まる 光母子殺害 - 社会
20人を越える弁護団が加害者側に付くという異常。死刑廃止論は結構だが、単一の事件を使って主張するのは全くおかしい。人権派と言われる人々のようだが、被害者の人権が疎かにされている現状で、加害者の過去の状況を元に情状酌量を求めることが果たして正しいのか?加害者の人権を認めるのなら、被害者のあだ討ち権も認めるべきである。感情的に言えば、妻と子供を惨殺された本村さんのために加害者を殺めてやりたい。

年金と言う思想

社保の解体は当然でよいと思っている。

されど、年金(ペンション)というモノを多くの人は払ったんだから貰って当たり前だと考えているようである。

本来の趣旨は(俺なりの)、相互扶助なんじゃねえ〜の?
商売で上手くいった人は必要ないし、不慮の事故で怪我をして働けない人とかには手厚い助けをする。
だから、貰う事を前提に「払っている」と思い込んでいると、損得勘定になるわけですよ。

緑資源某の天下りさんも、「食べる分だけ稼げばいいんじゃないの?」
せっかく、森とか自然にかかわるご商売しているんですから。

宇宙飛行士が宗教家になったり、農業を始める例があるけど、俺なりに考えれば、地球を遠くから見て、ヒトと言う存在の小ささを実感したのだと思うんですよ。日本人が外国暮らしして、日本の良さを感じる。
地球に「生かされている」自分を宇宙飛行士は感じ取ったんじゃないかな。そして、その生かされている自分が凄く幸せに感じて。

そんな風に考えると、尚更都会の風景は光を失うんだな。俺には。

菅豊さんお勧めの会

【急告】「公開自主講座「宇井純を学ぶ」」の開催のお知らせ。: 民俗学の道しるべ The Guidepost for Folkloristics
出来れば、是非行きたい。「川は誰のものか」の菅豊先生の視点が興味ある。民俗学と科学。科学は誰のためにあるのかと言う問いにも聞こえる。ネット社会においてこのような会がリアルタイムでないにしろ、webキャストしたり、mp3で多くの方が聞けるような方策はないものだろうか? さらに言えば国立大学の授業などはすべてオープンでも良いと思うのです。もちろん、聞くだけですがね。
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